宿題はまだ解かれていない
2016年のことをよく覚えている。
所属していた媒体はちょうど年1の国際編集長会議を開いており、俺の上司を含むお偉方は開催地のイタリアにいた。
俺は東京のオフィスで速報を回す仕事をしていたが、彼ら彼女らが米大統領選を見守る様子は、社内のネットワークや各々のソーシャルメディアアカウントで頻繁に共有された。
予想を覆す結果が少しずつ確たるものに近づくにつれ、落胆の色が濃くなっていく。当確が打たれた頃には、1年の達成を言祝ぐはずの会議の場は、まるでお通夜のようになっていた。
いちおう中立を旨としてるんだから形だけでも淡々としてろよと思わずでもなかったが、衝撃の大きさを考えればリアクションもまあ理解はできた。ペーペーの俺と違い、それなり以上のキャリアを積んできた人たちならなおのことだろう。
あの瞬間を国際系のニュースメディアで体験したことは、その後いまもこれからも、俺の社会人人生に少なからぬ影響を及ぼし続ける。
情報の仕事は戦いではない。だが、知る人の少ない世界の実像や深層を先んじて掴み、それを世に問うことを生業とするはずの人々が、世論公論を大きく見誤っていたという一点において、あれは紛れもなく敗北だった。
4年が経って、選挙「戦」は前回と違う結果に終わり、DCは今日、観客不在ながらも一応の祝祭ムードに包まれた。
ただ、俺ら情報屋がこの間に何か特別に新しい方法で事態を改善したようには思われない。努力をしていないとか、中の人が無能だとか言いたいわけではない。ただむしろ、純粋さと勤勉さが多くの場合分断を深める結果を生み、また事実として徹底的なメディア不信は蔓延している。
前向きな空気に水を差すつもりはない。だが、4年前に出された宿題は未だに解かれていない。下手をすれば、まだ1行も。
新大統領は就任演説で、団結と癒しを強調しつつこうも語っている。
「諸君、これは試練の時だ(Folks, this is a time of testing)」