男女の役割意識からの脱却
そろそろ初の子供が生まれる。女の子だ。
これからの女の子ってどういう風になるのが良いいんだろうと最近考えている。
女性視点で社会を考えてみることも増えた。
個人的に結構今の状況は歪になっていると感じる。
まだ男女間の役割意識は男女双方にあると思うし、そんな中で急に女性活躍とか経済の観点だけで取ってつけたように言われ、ソフト面でもハード面でも全然環境が整ってないのに男性の給料も下がり、なし崩し的に共働きがスタンダードになってしまった。
若い人はともかくこれまで、そんな事を前提に考えていなかった女性は多いだろう。これまでキャリアの形成など考えず、しかたなく賃金の安いパートで働いている人も多いはずだ。
私が子供の頃は夢がお嫁さんという人も沢山いた気がする。そういう人にとっては不本意な人も多いだろう。
かといってキャリアを追求すると出産がない男性と同じ土俵に乗るのもキツい。子育ては女性がという社会の価値観も根強い。結果、子供がキャリアかの二者択一になりがちだ。職場も女性がキャリアを形成する環境がないところも多い。
うちの妻も時短勤務を予定していたが実質廃止するような改悪制度をしかれ、子育てママ達は退職せざるを得ない状況に追い込まれている。
夫の側も職場の男性上司は未だに妻が家庭に入る前提の仕事の振り方や価値観、評価基準の人も多い。妻に家庭に入ってもらう前提で育ち家事ができない、やる気がない人も多いと思う。
昨今の価値観を反映して妻には育児や家事を求められ、職場との板挟みになってる夫も多いだろう。
問題の多くは男女がお互いの役割に依存して生きる前提の社会や価値観だった頃から制度も考え方も行動も何もかも脱却出来ていないのにスローガンだけ男女平等を唱えるからだと思う。これは急激に価値観が変わった過渡期である事も大きいと思う。
日本固有の問題として少子高齢化で古い価値観の人がマジョリティであること、政治家も選ぶ側選ばれる側の双方で年配の方が多く古い価値観の人が多い事も影響しているだろう。
今は男女共に生きづらい世の中だと思う。
これらのことを考えると、まぁ当たり前のことを言ってるが男女に関わらず1人で生きていける、誰かに依存することがない、子供ができても1人ででも育てられる強い子に育てることが親としての使命だと思っている。
糧を稼ぎ子を育て家事もでき、それらの全てを誰かに依存しない。生殺与奪の権を他人に握らせるなというヤツだ。
もちろん夫婦で選択して役割分担をしても良いがやりたくない、やれないではなくお互いを尊重して話し合った上の選択であればいい。他人に依存すると期待し、裏切られると不満が溜まる。そういう事でぐちぐち言い合うのは不毛だ。
男も家事や育児を女性に求めず女も生活の保障を男性に求めない。そういう価値観が当たり前として社会に浸透して始めて子供が産まれて育児休暇を取るのがお父さんお母さんのどちらでも良い、となるのだろう。
男女がお互いの役割意識から脱却した時、自然と男女平等も実現できるんじゃないかと思う。「男女平等」という言葉は曖昧で誰がどういう目的で何のことを指しているのか分からないが、男女の役割意識からの脱却は明確でシンプルだと思うので個人的にはこちらを推したい。
ちなみに私の妻は本当は専業主婦になりたいと私の尻を叩きまくって今も在宅ワークの私に全ての家事をさせ仕事も平均以上稼がせ、きっと育児も当然全てやってもらおうという魂胆だ。今日は子供服をぬいぐるみに着せる練習をした。難しすぎるのでアパレル業の方、もっと着やすいベビー服を作ってください。
妻は尻の叩き方が本当にうまい。そして私は育休も取ります。