夏はジメジメとした日より始まるが、終わりは静かなものであっという間に秋に移り変わっている。
秋は静かに始まり静かに終わる。意識する頃にはすでに暮れで冬の足音はすぐそこまで来ているものだ。だから今この場で秋を認め感じる。
今朝、駅までの道を歩いていると路肩の白線の上にクマゼミの死骸が仰向けに転がっているのを発見した。
既に中身は蟻や微生物にさらわれて外殻のみの姿でまるで羽化後の抜け殻のようだった。
この死骸も真夏の太陽のもと死期を感じさせない地響きのような音を鳴らしていたのだろうかと想像しながら、ここでは危ないと右手の人差し指と親指でつまみ上げたのだが腹弁が無く産卵管があるところを見るとそれはメスだった。
ちり紙のような軽さだった。
民家の植木の隙間にそっと置いた。
塀の内に植わっている喬木の緑を朝の爽やかな風がそよいだ。
クマゼミは役目を果たし散ったのだろうかと想像を巡らせた。
それは、生物を探し捕まえケージに入れては観察することに熱を注いでいた幼き日の心を宿らせた。
空の青は深く、葉の緑はより映えて見えた。
だが、瞬きを一つ挟むと、その光景は過去のものだと気付くのであった。
駅の階段を登り券売機で京都までの切符を購入した。
電車に揺られながら尚もクマゼミを想った。まだ中身が詰まっていた頃、つがいをなし己の生命を樹木に詰め込み果てたのか。蝉は7日の命という。
それが本当かどうかはさておき齢の儚さを感じる。
一つの生命として地表に這い出てからの数日に何を想うのだろうか。
とはいえ、成虫として鳴きしげくまで7年ほど暗闇の地中を這っているのだ。
平均寿命が80年と言われる昨今、人でいうところの蝉は地中で70年の時を暗闇で過ごしているのかと想像すると何も他人事ではないと感じ、胸の奥で何かが蠢くようだ。
それは、驚愕に胸をさざめき立たせるようで、恐怖に戦慄した心臓のざわめきのようであり、生を認識される以前の胎児のようでもあった。
一様に70年といえど永遠ほどに長いものだ。
それを日々の生活の中で感じるのは難しいことだ。
だが、とうとう一生を終えようとする間際では生の永遠をありありと感じるではないか。
蝉の一生とは正にそれであった。
70年の時を経て幼生から成体へと真に解き放たれ、殻から這い出した純白の肢体と両翼を這う翡翠色の静脈は、永遠からの解放であり、十月十日からの生誕であり、その姿は中陰に舞う羽衣ようなのだ。
だが、数時間が経つと黒く光沢を放つ成体へと変わり死して尚姿は変わることはない。
それに因果を感じないのは無理な話だった。
大学は夏季休業中により閑散としていた。
卒業式の開始時刻はとおに過ぎていたことも原因だが。
ホールのガラス扉を開ける前から役員の顔は見えていた。
扉を開けると話していた相手から眼をこちらへ向け不意に笑顔を作り迎えられた。
ホームへと通されると卒業式というにはひもじい人数であった。
学歌を4年ぶりに聴いた。
式は小一時間で終わり卒業生は3階のセミナールームへと移動し、学位記やアルバムが入った紙袋が置かれた席に着いた。
それでも尚クマゼミを想った。
何故これほどまで執着するのかと考えたが、それは本当の死に触れたからだった。
永遠の生から解放された成体の死は私であるようだ。
私は大学から解放されつつある。
手元残った学生証が告げる。
証明写真は我が幼生か。
社会は地上であったが、大学は地中だ。
湿った土が心地良く体躯に纏わり付いていた。
地中から這い出したのはこの瞬間であった。
役員の言葉が素通りしていることに気付き拾い上げる。
その手は成体であった。
役員は学生証と交換に卒業証明書を配布していた。
目の前にやってきた役員は学生証を手に取り注意深く見つめ、「おめでとうございます」と添えてその2枚を手渡した。
性根尽き果てたように無心に陥った。
学生証を失い学生でなくなった私は今朝のメスのクマゼミであった。
産卵管から生を吐き出し力尽きた姿がそこにはあった。
皆が席を立つのを感じ、完全な終わりを知った。
おもむろに立ち上がり連なり歩き外に出た。
地上へ這い上がった私は何であるか。
新たな生命へと進化を遂げたのか。
否、人間であった。
私は成体であったが、不完全であった。
肉体と精神の乖離によるネオテニーに陥っていたようだ。
尚もクマゼミを想った。
空は高く薄い雲に蔽われており風は涼しく心地良かった。
秋の真っ只中であった。
2014/09/21 卒業式のその日