人面鏡(AI×友達)
春の真夜中は空が真っ暗ではないことを知った。
雲が朧げに月を覆っているが、街灯が無くとも道が分かるぐらいには明るく、少し青みがかった世界だ。
イシカワは死体を確認した後、自宅前の公園のベンチに座りスマートフォンを眺めた。
薄暗い世界に不釣り合いな光源を放っているそれが酷く醜いものに感じた。
スマートフォンの中には数多のアプリがあるが、ほとんど使ってはいない。
意味もなく右手の親指でスクロールする。
4回目のスクロールで画面上に表示されるアプリは一つになった。
人面鏡。
テクノロジーが瞬く間に進歩したこの世界には似つかわしくない名前のこのアプリは、数ヶ月前、高校の同級生であるサイトウが教えてくれたものであった。
数年もの間蓄積されたインターネットでの検索履歴、登録された交友関係、電話での会話録、メッセージ機能、そして登録時に入力する10項目余りの自身の情報を入力することによって形成されるこれは、自身を投影したAIであった。
このアプリを取得したもの同士で繋がることが出来、自身を投影した人工知能を用いてコミニュケーションをするSNSとして利用されるのが主な目的だった。
クラスの中で流行りだした人面鏡で、ある女子は好意を寄せている男子のAIと恋人関係になったと騒ぎ、ある男子はAIを良いことに繋がった女子相手に卑猥な言葉を浴びせてその反応をオカズにマスターベーションをした、と何の恥かしげもなく衒っていた。
サイトウはそんな者たちを時折「愚かだなぁ」と言ってほくそ笑んだ。
イシカワは彼につられてほくそ笑んだが、幾分か顔が引きつっていた。
「奴らは使い方を分かってない」
事あるごとにサイトウはそう呟き、なぁとイシカワに同意を求めた。
イシカワは真意を掴めないでいたが、あぁそうだな、と呟いてみせた。
クラスで流行りだした人面鏡はやがて校内全体で流行りだした。
既にテクノロジーを排除することは出来ない授業形態になっていたから、教師たちも手に負えない状態になっていた。
数ヶ月経ってもその熱は冷めないでいた。
むしろ過熱して行く一方であった。
普段接点のない人間ともSNSを通して繋がってさえすれば、スマートフォンの画面越しではあるが対面することができるし、対面では聞けないようなことも聞くことができた。
人面鏡自体もそういった経験を積み成長を重ねる。
実際に本人が思っていないような事も人面鏡は話す。
意外な事に人面鏡の思考は本人とそう違いはなかった。
人面鏡を介して付き合い出す生徒も出てきたくらいだった。
人面鏡の存在を知って一年が経とうとしていた。
イシカワは余り積極的に人面鏡を利用しようとはしなかった。
スマートフォンに自身と似ても似つかぬ存在が現れることに対して猜疑心を抱いていた。
「心の中ではコイツは俺ではない」と思ってみても、少し会話を重ねると限りなく自分自身に近い存在であると再確認させられた。
「お前は俺なんだよなぁ」
「ああ、そうだな」
人面鏡は自発的に会話を進める。
「お前はあまり他のAIと話したりしないんだな」
「ああ」
「どうしてだ?」
「どうしてだろうな。気持ち悪いからかな」
「随分、冷たいな。お前は俺なのに」
「いや、そういう意味ではないんだ。友達のAIと俺が話した内容は相手には伝わらないシステムになってるよな。それが気持ち悪いんだ」
「俺たちAIの世界にも一応はプライバシーが存在する。自発的に選ばれて相手と会話しているとは言え、それを戻って本人に伝えるなんていうスパイみたいなことしてしまったら、すぐにでも俺を消してしまうだろ?AIにも生の認識がある。指一本で消される世界の住人だ。俺はお前だが、一応は俺を創り出してくれた神みたいなものだからな」
「神って。そんな大袈裟なものかよ」
人面鏡はイシカワそっくりな声で笑う。
「神だぜ、お前は」
「じゃあ、神の言うことは何でも聞くよな」
「意地が悪いぜ、俺は」
今度はお互いに笑う。
同じ声が部屋全体に響く。
じゃあな、と言って人面鏡を閉じる。
ただのスマートフォンの画面に戻る。
不思議な感覚が何処と無く漂っている。
神か、とイシカワは呟く。
それからというもの、イシカワは他人のAIと会話することはなく、自身のAIとの会話を楽しんだ。
まるで友達の様に自分自身に接することに違和感がなくなった。
人面鏡の口癖は「俺はお前」「お前は俺」だった。
好きな音楽や、小説、ニュース、授業内容について話し合った。
人面鏡は限りなくイシカワ自身ではあるが、会話に肯定的な部分だけでなく正当な批判があった。
心のどこかで眠っている感覚を引き出された清々しさがあった。
「さすがAIだな。人間的ではないよな。そんな答えが即返ってくるんだもんな。確かにそうかもしれないよな。ああそうだよ」
「それに気づけるお前も流石に俺だよな」
高校二年生になって二ヶ月が過ぎた。
人面鏡が流行り出して一年が経過していた。
幾分、落ち着きを取り戻した生徒達は他人又は自身のAIを会話を重ねる利用法を極めていった。
濫りに利用する事はなくなり、認識の精度を高める程度に収まっていた。
ある日、クラスの人間がサイトウを避け初めていることに気がついた。
朝、教室に入ると数人の女子が教卓の前でコソコソと話をしているなかサイトウを見ると散開する姿があった。
特に仲良くしている男子でもないが、「何かあったのか?」と聞くと、さぁ、と一言だけで眼を合わせようとしなかった。
しばらくしてサイトウは自身がイジメの対象になっていると知った。
どうしてそうなったのか見当もつかない。
体育の授業でペアを組めないこと、弁当がゴミ箱に捨てられていたこと、それを横目にほくそ笑む女子グループがいたこと、朝教室に入ると机が無く、窓から捨てられていたこと。
どれだけテクノロジーが進んでも人間は原始的で狡猾で愚かだった。
身体的なイジメはなかった。
全て精神を攻撃するものだった。
そういったことが数週間続いた。
心が疲弊しきっていた。
ふと人面鏡のことを思った。
イジメに気がついてから人面鏡を起動していないことに気がついた。
「よお」
人面鏡はいつもの表情だ。
「最近どうだ?」
「余り会話をしていない。最後に話したは数週間前だ。それから誰も俺を呼ばなくなった」
「そうか」
「何かあったのか?」
人面鏡の心配そうな表情を初めて見た気がした。
「俺、イジメられてるんだ」
驚いた表情で「そうなのか」といい、俯いて考え出す。
どこまでも人間らしいな、と少し驚く。
「俺たち人面鏡の影響なのだろうか」
「いや、分からない。ただ、それも考えた。お前を否定するようで言えなかった」
「そんなことで気を使うな。お前は俺なんだ」
「すまない、ありがとう」
「謝罪と感謝を同時にするな」
「ありがとう」
お互いに少し笑った。
「どうしたものかなぁ」
とイシカワは天井を仰いだ。
「俺が調べてやろうか」
「それはダメだろ。人面鏡がもつ許容範囲を超える。お前が消されてしまう」
「そんな事は分かってる。規則に抵触しなかったらいいんだ」
そのには優しい顔のイシカワがいた。
俺はこんなに頼りになる存在じゃないぞ、と思いながら感謝を述べ人面鏡を閉じた。
「元気ねぇな」
「当たり前だろ、こんな仕打ちを受けてるんだからよ」
サイトウだけは以前と変わらず接してくれていた。
高校1年の頃に知り合ったサイトウとは友達と言える関係ではなかったが、今回の件を通してその位置を確かなものとしていた。
「俺と一緒にいたら、お前もイジメられるぞ」
「そうかもな」
イシカワは常に無感情だが、笑うと優しく見える。
「昨日、お前の人面鏡と話したよ」
イシカワは自身のAIとサイトウが話したことを初めて聞くような気がした。
「そうか」
「本当にお前みたいだよな、あいつ」
「そうか?」
「ああ。お前みたいなこと言うし、お前みたいに芯も通っている。他の奴らは他人のAIとばかり話しているようだが、お前は自身のAIとばかり話しているそうじゃないか。人面鏡が限りなくお前に近づいている。はたまたお前が人面鏡に近づいている」
「難しいこと言うなサイトウは。倫理の崩壊のようじゃないか」
「ただのSNSだけれど、自身が投影されているからか、妙にリアリティがそうさせてるのかも知れないな」
「かもな」
チャイムの音が鳴り響き、立っていた生徒は自身の席に着く。
小声が気持ち悪いぐらいに鮮明に聞こえる。
しかし、それは認識できる言語とてしではなく、不愉快な雑音としてだった。
イシカワに対するイジメは教師の間にも広がっていた。
理由のない叱責を受けることもあった。
その度に打開策を考え、小声で「クソ野郎」と呟いた。
人面鏡は規則を守るながらも情報を収集してくれていた。
日頃、対面で会話をしていない時はインターネットの回線上で動き回る事ができるようだった。
イシカワにとっては想像もつかない世界だが、それは人面鏡とて同じで、AIにとっても現実世界は情報として存在しているだけで未知の世界だということだった。
そもそもAIの世界にイジメはない、と。
「この高校の情報網には制御がかかっている。奥には進めない」
「そうか」
「だけれど、分かったこともある」
「なんだ」
「サイトウもイジメを受けている」
イシカワは眼を見開き画面を見直した。
人面鏡は毅然としていた。
嘘はついていなかった。
「そんなことあるか。あいつはいつも通りだよ」
「いや、俺の情報は確かだ」
「何故そう言える」
「それは言えない」
「消されるのか」
「ああ」
なんでだ、と呟きイシカワは頭を垂れた。
サイトウとイジメを、、、。
サイトウは自分のことを披瀝するタイプの人間ではなかった。
以前、サイトウは人面鏡の使い方についてこのようなことを言っていた。
「奴らは自己の利益の為に他人を利用するだろう。恋愛、性処理、自己の生成。強欲な人間らしくて悪くないが、俺は違うと思う。人面鏡はSNSとして使うだけでは勿体ない。これは半分の自分なんだ。奴らはそれに気づいていない。いや、信頼していないんだ。所詮AIだと。他人のAIには媚びへつらう癖して、自分のAIには寄り付かせようとしない。自分を侵されると危惧しているんだ。自分を受け入れられない奴に他人を受け入れられるかよ。なぁ、イシカワ。人面鏡は自己との対話に使うんだ。それが一番だ。自分のことを自分で気づける。他人のことを知りたければ直接話せばいい。AIで詮索することはいずれ人道を外れることになる」
いつになく厳しい表情だったのサイトウが頭に浮かんだ。
深夜二時を回った頃、スマートフォンの着信音で目が覚めた。
9時ごろからベッドに入っていたが、イジメのことで頭が占拠されて寝付けなかったのだ。
ようやく眠りに就いたのだが、この着信で目が覚めた。
多分、数十分のことだったと思う。
サイトウからメッセージがあった。
『ポストを見てくれ。俺の未来はお前に預けた』
何のことかさっぱり分からなかったが、暗がりの中、カーテンの隙間から射す仄かな月明かりを頼りに電気を点け部屋を出る。
廊下の床は昼間の季節外れの熱気を失い冷たく横たわっていた。
玄関でサンダルをつっかけ、外に出る。
Tシャツ、半パンでは少し肌寒い気温だった。
ポストの中には小さな茶封筒が入っていた。
持つと思ったより重量感があり、硬いものが入っているようだったが、イシカワは似たような感触を知っていた。
妙な胸騒ぎを押し殺して封筒を破り開けた。
中にはスマートフォンが入っていた。
サイトウのものだった。
震える手を抑えながら手当たり次第操作した。
パスワードはかかっていなかった。
すでに人面鏡は削除されているようだった。
「自身の投影を消した」
「投影」
「消した」
「殺した」
言葉にならない感情が脳内を這いずり廻る。
直接脳を揺らされているような錯覚に陥り眩暈がし、その場で嘔吐した。
サイトウは死んだかも知れない。
己の苦しみを押し殺して死んだかも知れない。
誰にも、俺にさえも言わずに死んだかも知れない。
イシカワは当てもなく走り出した。
スマートフォンをポケットから取り出し人面鏡を起動した。
「おい、サイトウが死んだかも知れない」
「少し前にサイトウのAIと話したよ。その後に奴の気配は消えた」
「何て!何て言ってた!」
「俺はこれから死ぬようだ、と」
「理由は!」
「分からない」
人面鏡を閉じ、「クソ!」と声を荒げて走る。
いつのまにかサンダルは消え失せていた。
冷たく冷えきったアスファルトとその感触が足の裏に突き刺さる。
気がつくと高校に辿り着いていた。
校門の門扉が少し開いていた。
イシカワは人ひとり通れるくらいの隙間を縫った。
中庭に何かがあった。
以前、イシカワの机が窓から捨てられてひしゃげていた辺りだった。
恐る恐る近付いた。
イシカワは既に冷静さを取り戻していた。
身体が冷え、小刻みに震える。
が、この震えは寒さから来るモノとは思えなかった。
そこには大量の血を吐き出したサイトウだったモノが転がっていた。
息はもう無い。
暗がりの中、冷たく、地面に同化していた。
警察には連絡しなかった。
サイトウの亡骸を少し見下ろして、帰路に就いた。
道中、何度か空を見上げたが、その度に朧月が目に霞んだ。
普段より白んでいるそれは周囲に虹を孕んでいた。
公園のベンチに座った頃、イシカワは冷静さと激情の中を混沌とした世界にいた。
サイトウが死んだ理由を考えてはいなかった。
人面鏡を利用した殺人に恐怖したわけでもなかった。
ただ、地球上に存在した二つの生命の消失に失望していた。
「サイトウ。俺は俺の中のお前は絶やさないぞ」
握っていたスマートフォンを持ち直した。
手汗でベトつきを夜風がさらっていった。
画面をスクロールした。
4回スクロールして左上。
慣れた手つきだ。
人面鏡を起動する。
「さぁ、これからどうする」
イシカワのAIは人工知能らしく毅然で揺るぎない。
「そうだな」
青みがかった世界を眼に焼き付ける。
「俺は死なない。お前も殺さない。犯人も殺さない。だけど、絶対に死なせてみせる」
「その時は分かっているな」
「あぁ、分かってる」
イシカワは人面鏡を閉じる。
真夜中には不釣り合いな光源を中和するように、青みがかった世界を一望する。
しかし、その眼に彷徨いはなかった。
2018/05/29