分からないを分かってあげたい、という話

何か(例えば技術)を既に分かっている(理解している)人が、まだ分かっていない(理解していない)人の気持ちを分かることはとても困難なことだな、と思います。場合によっては、そんなの全くもって無理なのでは、とさえ思います。

でも、それでおしまい、というのは、とても悲しいことだと思います。

「分かっている」人は、きっと「分からない状態」から始まって、分かるようになっていったと思うのです。最初から何もかもを分かっている人なんて居ない。最初から何でもできる人なんて居ない。

僕は昔「猫でも分かるCプログラミング」的な本(うろ覚え)を読んだときに、全く何を言っているのか分からなくて、「自分は猫以下かorz」と絶望したことがありました。
しかし今となっては、具体的にその本の(C言語の)どこが分からなくて、どんな気持ちだったのかまるで覚えていませんし、たぶん今同じ本を読んでも同じ気持ちにはならないし、当時の気持ちを思い出せないと思います。

人間の脳は基本的に忘れるようにできているらしいので、「分からない状態」から「分かる状態」になった時点で、分からなかったときの気持ちは不要と判断され、忘れられていってしまうのでしょう。

対策としては、例えば自分が分からない状態のときに、その気持ちを何らかの形で残しておく、とか考えられますが、
同じ技術に対する「分からない」だとしても、「分からない気持ち」とか、分からない理由(つまづきポイント?みたいなもの)はたぶん十人十色なので、ちょっと弱いかもですね。
でも逆に十人十色だからこそ、誰かと同じ「分からなかった」を共有できるかもしれませんよね。

綺麗事かもしれませんが、分からない人の気持ちを分かってあげることはできなくても、その気持ちに寄り添うことはできる、と思っています。
つい「何で分からないの?」と思ってしまいがちですが、そこで終わるのではなく、寄り添うようにできればなと。

そういう人になりたい。

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