日本酒の利き酒で味わっているもの。
ぼくは日本酒が好きで、その味わいに興味があり、最近は味覚について勉強しています。
栄養化学者である伏木亨さんの著書『人間は脳で食べている』(ちくま新書/2005年)という本を読んでいて考えさせられるところがあり、
「普段の日本酒の利き酒において、自分は具体的に何を味わっているのか?」という点について、思うところを書いていきます。
1. 日本酒の味わいとは
普段日本酒を飲んでいて感じる味わいの要素というのは「旨み」「甘み」「酸味」「苦味」に大別されます。
ここに「口に含む前の香り=上立香」や「口に含んだ後の香り=含み香」が加わり、
さらに飲み口として、柔らかい/軽快/爽やか/アルコールのボリューム感などがあり、最後に喉を通る時のキレ感などが加わります。
これらの組合せ、重なり模様で味わいを表現していきます。
例えば最近開栓した『赤武/純米夏霞』だと、以下のような感じです。
入口は米麹の優しい甘みの香り。
口に含むとたっぷりのお米の甘みが柔らかい酸味に乗って、心地よい厚さの旨みとなって追いかけてきます。
キレ感も柔らかく爽やか。
柔らかい酸味で心地よくキレていく。
まさに夏酒って感じの味わいですね。
あるいは、ぼくが時々言及する「白ワインのような日本酒」の一つ、『仙禽/無垢 無濾過生原酒』だと以下のような感じ。
開栓直後の微炭酸に包まれた、生まれたてのお米ジュースのフレッシュ感。
それを今度は若々しい酸味と苦味がキレイに包み直して、舌の上を駆け抜けていく。
「無濾過生原酒」の中でも、この酸味と苦味の絶妙なバランスの上に乗っかるお米の旨み感と、後半のキレではなく、前半から酸味と苦味が主役のフレッシュ感が新鮮。
少し時間を置いただけで、お米の旨み・甘みが少し前に出て来る。ごく短時間のうちにアップデートされた酸味・苦味との更なる絶妙なバランス感を楽しませてくれる。
酸味と苦味の澄み切った綺麗なキレ感。
静かで上質な余韻。
上記のような味わいを指して「白ワインみたいな日本酒」と表現したりします。
利き酒師の教科書的には、「楽しませてくれる」や「上質な」といった主観の入った表現は本来は好ましくないんですが、
自分が後で見返して、その味わいをハッキリと思い出せるようにメモしてる訳です。
それで、ここからが本題なんですが、
これらの味わいというのは「ぼく」というフィルターを通した味わいなので、必ずしも客観的なものではない、ということです。
利き酒師の教科書には、テイスティングに求められる態度として「個人の嗜好や好みは排除して」「客観的なコメントが求められる」とあり、
言いたいところはよく分かるんですが、「完全なる客観的なコメント」というのは限界があるかなーと思います。
2. 状況に依存する味覚
なぜそんなことを思うかというと、冒頭の著書を読んでいて深く納得するところでもあったのですが、
例えば夏場に1日外回りの仕事をして家に帰って来て飲む一杯目のビールと、普段の食事で半分お腹も満たされた状況で飲むビールの味わいでは、前者の方が圧倒的に美味しく感じるだろうし、
登山の途中に大自然の中で食べるカップラーメンは、家で1人でボソボソと食べるカップラーメンよりも遥かに美味しく感じると思うんですね。
つまり、味覚というのはそれを味わう状況に大きく依存しているということです。
日本酒で言えば、酸度・日本酒度・含有するアミノ酸の種類などの「客観的指標」と、「具体的な味わい」は必ずしも1対1でいつも不変に対応しているのではなくて、
例えば、その日本酒を誰と、どこで、どんな雰囲気の中で飲むのかといった状況に大きく依存します。
日本酒愛に溢れる居酒屋店主さんが、蔵元さんと一緒に作り上げたPBの日本酒があって、その店主さんの愛情溢れる解説を聞きながら飲むその日本酒は間違いなく美味しい訳です。
そして、そんな日本酒の味わいは、「美味しいお酒」「楽しいお酒」「良いお酒」としてぼくの中に記憶されます。
3. 自分の記憶を利き酒している。
日本酒を利き酒する時に、何を味わっているのかというと、自分の経験・記憶を利き酒しているんだと思います。
これは、何か情緒的で詩的なことを言おうとしているのではなくて、
上記に挙げた2つの利き酒のサンプルの例だと、「米麹の優しい甘み」や「柔らかい酸味」、「若々しい苦味」、「お米の甘み」といった各種の味わいは、既にぼくの経験・記憶の中にあるものです。
日本酒をいくつも飲んできて、似た味わいを過去に経験している、ということです。
例えば「柔らかい酸味」という言葉に対応する日本酒を味わった経験がない場合、その味わいをイメージできない=その言葉は出てこないと思っていて、
その証左に、「柔らかい酸味」という言葉を書いているだけで、その味わいを特徴とする日本酒の銘柄が今いくつか頭に浮かんできます。
紛れもなく、自分の経験や記憶を利き酒しているんですね。
もっと言うと、ラベルデザインの印象やラベルに表示された情報から味わいを事前に想像して、飲む前から既に半分くらいは「味わって」いる訳です。
だから、逆に記憶の中にはない初めての味わいで素晴らしい日本酒に触れたとき、ぼくのコメントは具体的な味わいというよりは、「感動」や「驚き」をメモしたものになります。
例えば、ぼくの愛する銘柄の一つ、『雪の茅舎/山廃純米』を初めて飲んだ時のコメント。
美味しいお米の、一番美味しいところをそのまま頂いている」という実感。
このお酒には、造り手の「こんな味にしたい、ああしたい、こうしたい」という作為的なものを一切感じさせない。
ただお米の美味しさがそこにあるとしか言えない。お米の旨味も綺麗な香りも酸味も上品なキレも全てあるんだけど、それらが完全なバランスでもって「美味しいお米をどうぞ」と伝えてくる。
改めて読んでみて、具体的な香りも味わいもほとんど書けてないですね。
この『雪の茅舎』の火入れ山廃純米は、衝撃的に美味しかった。
それは、その当時のぼくの記憶の引き出しにはない味わいだったし、それまで濃醇で頑丈という認識しかなかった「山廃純米酒」のイメージを大きく作り変えてくれたからなんですね。
ラベル表示にある「山廃」(※)という情報から、過去の記憶を頼りに事前に連想していた味わいと違っていた。別の側面から、)山廃」の凄さを見せてもらった。
この辺りに日本酒の楽しみが凝縮されてるなと思っていて。
1,300〜1,500といった数の酒蔵さんが日本酒を作っていて、年間に造られる銘柄総数は15,000〜20,000種類近くに上ると言われています。
その総数からすると、ぼくが経験した銘柄の数はごく僅か。つまり、ぼくの現在の経験・記憶にない味わいが日本酒界には沢山あるということ、それだけの驚きが待っているということ。
同時に、既に経験・記憶にある似た味わいの中にも微妙な差を感じ取る。
そんな利き酒を積み重ねる作業は、ぼくのこれまでの経験や記憶をそのまま肯定する作業なんだと思います。
つまり、日本酒を味わうというのは豊かな人生を送ることと同義なんですね。
noteのお題、#ゆたかさって何だろう。
その答えは日本酒にあると思います。
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(※)山廃とは、外から人工的に乳酸を加えるのではなく、天然の乳酸菌が発酵のプロセスに加わるのを待って、じっくりと時間をかけて発酵させる造りのことです。