all the people
noteには暗いことを書くが別に落ち込んでない
明るい時はどうでもいいから書かない
暗い部分が表面化してるだけなのだ
思うに、真実は一つで嘘は∞だ
だから語ろうと思うと、嘘の方が楽だ
仏教だったかなんだかで、生きるのはそもそも辛い的なことを聞いた
きっとそうなのだろう
それに耐えられなかったヤツが、小学校でガキに夢だの希望だのを教え始めたのかな、無責任な話だ、しかし井の中の蛙は空を見ればいいだけだから何とも言えない
そうして巣立った子供たちは思想と現実のギャップに少々苦しむ...考えすぎか?
じゃあなんで生まれるのか
魂が回ってて修行のために地上に降りる的なことを聞いた、それも自ら。
それが本当ならよっぽど俺はドMなのだろう
神様が不死身なもんで暇だから人間を羨ましがって力を捨てて下界に降りてくる話も聞いた
神様もドM
刺激を求めて生きるってことだ、暇だから
蚊の出る季節だが、俺はあいつらを殺す
昔は何のために生きてるんだこいつらと思っていた
人間も何のために生きてるんだって話だ
虫の方が生き物としてはよっぽどイケてると思う
黙って生きて、繁殖して、死ぬ
人間はうだうだうるさい、生きるには頭が良すぎるんじゃないか?
多分昔にもおんなじことを考えたヤツがいる
そんでアダムとイヴの禁断の果実の話を作った
それなら納得がいくね
皮肉なことに、幸福には不幸が必要だ
幸福も不幸も、どちらも厳密に言えば刺激だ
刺激を求めて生きるってことには、どっちでもいいってことだね
先ほどの修行のために地上に降りる話に戻ると、人間ってのはどっちも経験できるから大変刺激的で、ドラッグみたいなもんなのかな、だから愛も変わらず増え続ける
やっぱ薬はダメだね
刺激的っていっても、暇だから落ち込んで、明るくなってその程度
でも、神様も耐えられないくらい暇なのが一番苦痛なんだと思うから、苦しい分にはまだマシなのかもね
俺は暇なもんだから、落ち込んだフリをする
身も蓋もない話になっちゃったね
じゃあどうすればいいのかって考えたんだけど
他人のために生きるってのが一番力が湧いてくるのかな、家族とかさ
結局、三島由紀夫の言う通りになったね
人間は自分のために生きて自分のために死ぬほど強くはないのであります。
まぁ、他人のために生きるってのも自分のためだから、愛と憎を間違えないバランス感覚に気を張るわけだけども...
おんなじところを行ったり来たり、
なんだかんだ人間ってのは楽しいのかもね
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?