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メキシコの魔法っぽい瞬間50【その5】

#21 なんでメキシコに来たの?

誰よりも早く目覚めてしまう。前日あったことを思い出して逡巡したり手帳に日記を書いたりしている。うまく会話できたこともあるし、うまく言えなかったこともある。
スペイン語がだめなのか? それはある。
感情を話すことに慣れていない? それもある。
ハイコンテクスト、ローコンテクストの違いもある。日本人は行間や空気を読む「ハイコンテクスト」な会話をするし、沈黙は美徳だとか言う文化も根強い。そんなものは美徳ではないと思うけど、とにかく自分のことを話す習慣がなくて「なんでメキシコに来たの?」ときかれても答えられない。メキシコが好きだから、などとボンヤリ答えるけどそれだけが理由ではない。

泊っていたベッドから。だんだん朝日がさしてくるのをただ見ているの幸せだった

#22 ノは「の。」って感じ

キッチンで音がし始めてからごそごそ起きてトイレに行く。キッチンを通り過ぎるときママにブエノスディアス(おはよう)と挨拶する。
「ブエノスディアス、マリー」
ママはダイヤモンドみたいな目をしている。忙しく料理の下ごしらえをしている。ママはメキシコ料理のデリバリービジネスをしているのだ。何か手伝うことはありますか?
「ノ、グラシアス」
この「ノ」に慣れるのに少しかかった。私はNoと言うことに慣れていないので「大丈夫です」などと言うし、実際にママが言うのは「大丈夫よ座ってて」みたいなニュアンスで、たぶん表記は「の。ぐらしあす」みたいなかわいさ。笑顔の絵文字つき。

チリにもいろいろ種類がある

「コーヒー飲みたい?」と聞かれて、仕事を増やしていいものか1秒だけ悩んで「飲みたーい!」と厚意に甘える。そしてコーヒーカップを持って台所のはしっこからアレハンドラの仕事を眺めるのがこの家での日課になった。
それは何?
ヒトマテ。
それは?
チリ・ポブラーノ。サルサにするの。タマネギとニンニクと一緒にミキサーにかけて、煮詰める。
メキシコの家庭料理のレシピをどんどん聞いていくのは楽しい。帰ったら作ってみよう。遠慮より好奇心を優先。ジャマしてしまってもいつか挽回できるだろう。ママはいつも少しだけ手をとめて、お料理について教えてくれた。真面目に、時々は笑いながら。

コロナを機に増えたデリバリービジネス。店舗を持たずデリバリーのみを行う「ゴーストキッチン」が増えて問題になっていると聞いたことがあるが、メキシコでは一応「店内に飲食スペースがあること」が法令で義務付けられているそうだ。

#23 マリコはバケーションでしょ

ここんちの弟が起きてきて、掃除を始める。中庭の犬のうんこは排水溝に流しちゃう。何か手伝うことある?
「の。ぐらしあす」
弟は床をブラシでゴシゴシ洗って机を並べてフライヤーを熱くして、アレクサに音楽を頼んで、手際よく商売の準備は完了した。大きなフライヤーで三角に切ったトルティーヤをどんどん揚げていく。何か手伝うことある?
「の。ぐらしあす(笑)。マリコはバケーションでしょ! 休んで!」
休む? 休むってどうやるの? 働き詰めで休み方、忘れちゃったよ。

「召し上がれ」と書いてバイクでお届け。注文はUberのほかRappi、DiDiなどのアプリ経由か、FacebookやInstagram経由でも入るそうだ。

#24 アレクサ、ラ・ビキーナ

アプリやSNSでどんどん注文が入るので友と弟はバイクで配達に行く。ワーカホリックの私はここぞとばかりにフライヤーはまかせろと働く。
「これもう揚がってる?」
「あとほんの少し」
メキシコの揚げ物はキツネ色よりタヌキ色。暑いからしっかり揚げないとねとママは言う。
昼食は、勤めに出ている妹以外の家族が全員集合する。パパ、ママ、友、友の妻、友の娘、弟。アレクサは素敵なメキシコの音楽を次々に流す。こんなゆったりした気持ち久しぶり。あ、この曲好き。ルイス・ミゲルでしょ? メキシコの曲を知ってるの? うん。映画『リメンバー・ミー』の最後に流れる「ラ・ビキーナ」って曲も大好き。
この家の人たちはみんな働き者だ。でも昼ごはんは一緒に食べる。夜もゆっくりする。そのメリハリどうやるんだろう。しかもごはんがめちゃくちゃおいしい。ごちそうさまってどういうの? メキシコにはないな。グラシアス・ア・ディオスかな。そうか、まあ日本語でいいや。ごちそうさまでした!
おいしいごはんの余韻に浸っていると、外で弟の声がする。
「アレクサ、ラ・ビキーナ」
そして流れるルイス・ミゲルの艶っぽい歌声。わーお。
窓の外の中庭を、弟がグッと親指を立てて去っていった。ハンサムかよ。

揚げたトルティーヤをさまざまなソースや具材でアレンジする「チラキレス」はメキシコの伝統的な朝ごはんだそう。これは牛肉とチーズ、少し辛いサルサ・ベルデをかけたおいしすぎる一皿

#25 読みます!

「なんでメキシコに来たの?」
旅をしているとよく聞かれる。この国が好きだからとかなんとか答えて、でも違うなと思う。ある夜ベッドで考えて、辞書を引いて原稿を書き、次の日「読みますっ」と読んだ。
「私は日本で10年やみくもに働いて経済的基盤は築けた。でも足りないものがあるような、何かにつまづいたような、よくわからないけど満たされない気持ちがあり、別のやり方を探したかった。だからメキシコに来た。好きな国の人がどう働き、どう生きているのか見たかった。それを見れば自分がこの先どう働きたいかのヒントが得られると思った。だから来た。でも今は単に楽しくて、悩んでいたことも忘れてた」
今回の旅ではこのやり方を通した。言えなかったことは夜、辞書を引いて原稿を書き、翌日、読み上げた。スマートじゃないし遅いけど、言わないより言った方がずっといい。

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