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Day6:意思がなければ道の意味がない

今日の晩御飯はマクドナルドにしてみた訳ですが、学生時代は「ハンバーガー10個くらい食えるな?」という感覚があった(経済的な理由で無理だった)のに、今や普通にセット食べるだけでもお腹いっぱいなってる気がします。
胃が縮んだのか?
いや、胃が縮んだのではない、私が前進しているのだ。

こんばんは、タイラです。
今日はふらりと仕事で思ったことを書きます。

タイラは仕事において「プロセス」をめちゃくちゃに重視するタイプです。
適切な思考プロセスで出てきた答えか。
正しい検証プロセスをもって確認された結果か。
過不足なくプロセスを踏んで申請された依頼か。etc….

そりゃあそうですよ。
正解のない世界に生きているんだもの。
ぱっとみの「回答」「答え」「結果」だけを見て正解不正解なんて分からないじゃん。
だからプロセスの妥当性が問題になるのよね。
結論自体の正否はわからんけど、プロセスが正しいならば、多分、恐らく、ぷろばぶりー、正しい。
だから、タイラはプロセスにこだわるのだ。


感度と意思の衰え

最近はちょっと別の考えが出てきて。
それは「プロセス云々は置いておいて、これが””あるべき姿””なんだ!!!」って思いきれることの方が存外大事じゃない?ということ。
そして、プロセス思考ばっかりしてると「あるべき姿はこれです!」と思いきる力が衰えるんじゃないかな?という思考です。

端的にいうと、「御託はいい!おれはこれが正解だと思う!」という強い意思である。
ここでいう御託は当然、「妥当なプロセスによって導出された”正解的なもの”か」という検証である。

仕事に限らず、人間は大なり小なりその人の描く”あるべき姿”に向かって行動・言動を選んでいると思っている。
それは理屈を積み重ねた先にあるものとは限らず、経験則的に、あるいは直感的に「これがよさそうだ」程度に感じるものだと思う。
自分にとっての「あるべき」なんて多分そんな温度感のものなのだ。

そして、プロセス思考はこの温度に冷や水をぶっかける。

それって妥当な検証されてますか?
適切な手続き踏んでますか?
手順に間違いはなかったですか?

それは明確な「御託」である。
いや、それが大事なことは十分に理解しつつ、敢えて言おう。
「御託である」と。


ここまで書いたのですが、IQ150の猿の時間が来てしまったので、この辺で筆を置きます。ウッキー!

#サラリーマン
#限界おじさん
#モンクモード