お祭りの非日常感より、家のリラックスが勝る理由
子供の頃、地元の夏とお祭りは特別な楽しみだった。
大きな提灯に照らされる夜の街、金魚すくいや射的、そして屋台の食べ物。家族や友達と一緒に、笑い合いながら歩き回る時間は、まさに夏と秋のハイライトだった。
しかし、年々、その楽しみは薄れていった。
たとえば、最近のお祭りの定番メニュー、焼きそば。
600円も払って、いざフタを開けると…具がほとんどない。
キャベツ数枚、豚肉はほぼ存在しないし、
なんだか麺だけを食べているような感じがする。
こんなに高い値段を出して、これか、、、、
そんな中、特に記憶に残っているのは、
かつて付き合っていた彼女とのお祭りでのエピソードだ。
僕たちは一緒に屋台を回っていて、彼女が焼き鳥を食べたいと言ったので、僕が買いに行った。財布のことも考えて、1本だけ注文したんだ。
すると、屋台の人の態度が急に冷たくなり、
明らかに怪訝な表情をされたのがわかった。
僕らより先に来ていた人には笑顔で気さくな対応をしていたのに、
僕たちのときはその対応が一変。
どうやら、1本だけ頼んだことが気に食わなかったらしい。
お祭りの楽しみは、その独特の雰囲気や非日常感だと思う。
でも、こうした小さなやり取りで、その特別な体験が
一気に色あせてしまうこともある。
屋台での無愛想な接客や、明らかに感じる差別的な対応が、
そのお祭り全体の印象を台無しにしてしまうことがあるのだ。
僕はそれ以来、屋台に行く時はお店より
店員の雰囲気で決めるようになった。
さらに、屋台で色々なものを楽しもうとすると、
いつの間にか2000円以上かかっていることが多い。
焼きそばやたこ焼き、かき氷…どれも1つ1つは小さな楽しみだけど、
合わせるとかなりの出費だ。
これに比べて、同じ2000円があれば、
自分の好きなスナックや飲み物を買って、家で快適に過ごすことができる。好きなテレビや映画を観ながら、リラックスして食事を楽しむ方が、
はるかに満足度が高いと思う。
僕の場合はスーパーで2000円分肉を買って
一人焼肉パーティーをする。
お祭りの「非日常感」は確かに魅力的だけど、
年々その代償としてのコストやストレスが大きくなっているのを感じる。
僕にとっては、お祭りよりも自宅で過ごす時間の方が貴重になってきた。
静かで、自分のペースで楽しめる環境は、
疲れた大人にとっては最高の贅沢だ。
もちろん、お祭りに行くのが全く無意味だとは言わないけれど、少なくとも僕にとっては、コスパが悪すぎる。
それなら家で、好きな映画やテレビを見ながらのんびり過ごす方がずっと価値があるんじゃないかと思うようになった。