だからかしこい

自分と他人が別人であることをわかっていない人のことが、本当に苦手だ。しかし、そう思っていながら、自分が好きな相手に対して知らぬ間にそういった振る舞いをしていないとも言いきれなくて、怖い。

最近、ようやく気づいたことがある。睡眠時間が短くても昼間活動に支障をきたさないのは、皆同じではないらしい。二重否定を使ってしまった。分かりにくくて申し訳ない。

睡眠時間はもったいないをつくる時間だと考えていた。寝ている間は何もできないからだ。だから、寝るくらいなら誰かと遊びたいと思っていたし、「眠いから」は自分と遊びたくないときのコミュニケーションスキルカードだと思っていた。
だけど、この世にはロングスリーパーとかショートスリーパーという言葉があるらしく、長時間寝ないと日中動けなくなる人が本当にいるらしい。

他にも、最近気づいたことがある。「一人の時間」というものに対する考え方についてである。私は、基本的に他人を信用しすぎてはならないという教育を受けているので、他人との距離(物理的・精神的の両者)を詰めることは得意ではない。しかし、同時に、一人でいることが本当に嫌いなようである。(同段落「私は~ようである。」までが気づいた内容)

常に、誰かと会話がしたい。時間を共有したい。遊びたい。いや、遊ばなくていい。タスクがあるならば一緒に進めたい。

良く言えば、マルチタスクができる。しかしその実は、ひとつのことに集中力を注げないだけである。何かをするときには、他のことを同時進行でしないと何も出来ない。
気持ち悪い話、大学の試験勉強をするときも、ずっと、YouTubeでホラーノベルゲームの実況を流していた。そんな状況で勉強しても頭に入らないと人は言うかもしれないが、成績は秀だった。遠回しに言ったが、別にできるのである。効率が云々は指摘されうるが、そもそも1つのことは、続けらないというか始められないのだ。だから仕方ない。これは良くない考え方だが、私はちょっとした作業と頭を回すことならだいたい平均より少し早くできるから、鈍ったところで、効率はそこまで問題にはならない。

否定されると必死で言い訳をしてしまう。今もイマジナリー批判おじさんに猛反発してしまった。

この話題を取り上げて何が言いたかったかというと、「一人の時間」が必要な人と不要な人がいて、私の周りには後者が誰もいないということである。
私は一人の時間は特に要らない。風呂やトイレはもちろん一人で致したいが、そういうことでは無い。(いやさすがにそこまで馬鹿な批判をしてくる人はいないと思うが) 誰かと話しながらでも作業はできるし思考も整理できる。だから別に要らないのだ。同じような人がいないからという理由だけで、今私は一人でいる。最近気づいたのだ。


気づく前まで、強要しなかっただろうか。それが心配だ。していたかもしれない。していたかなあ、していた気がする。
けど、それでも仲良くしてくれている人がいるということは、大丈夫なのかもしれない。これも、強要している/されていると考えない人(私と考え方が違う人)なら、こんな私とでも仲良くできるはずだ。加えて、私は気づくことができたから、これから改善できるのだ。何だったら、好感度が上がるかもしれない。わ~かなり魅力的だ。

自分の良くないところが見えかけたとき、自己嫌悪に陥る人と省みて成長に繋げられる人がいる。とりあえず、自分は成長できる人になりたい。


明るく生きることに、損はないと思う。


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