負けないでくれ私

 負けないでくれ、私。ここんとこのコロナ疲れ、文化資本の枯渇、薬による生活の難しさに負けて、考えることをやめないでくれ。
 そろそろ結構、無理かもしれん。一度そう思ってしまうともうだめだ。転がり落ちるように思考は鈍り、言葉が錆び、精神が後退していく。添加物たっぷりのお菓子とはやりのゲームにごまかされ、テレビが伝える茫洋とした国のありさまをみては権威への不平を漏らすだけの、愚かな存在に堕ちていかないでくれ。昨日のわたしは今日のわたしよりほんのわずかだけマシだろう。明日のわたしは今日のわたしよりほんのわずかだけ馬鹿になっているかもしれない。それが怖くてたまらないのに、きょうのわたしは仕事に疲れてそれどころじゃないという。なんという愚かしさ、なんという恥さらしだろう。自分の首を自分でしめては大仰に苦しがっている。それがどんなにダサく、見るに堪えない行為かをはっきりと認識すべきだ。
 COVID-19の破壊力は確かにすさまじかった。目に見えないのをいいことに、我々から文化資本を最大限度ひきはなしてしまったのだから。すべての現前性を奪われた我々は、すんでのギリギリで「オンライン」という手法をひっつかみ、なんとか息つぎをしていたにすぎない。ほんとうはこんなのじゃ全然足りない。ほんとうの、生の文化芸術という存在はこんなものではないのに。それを知っているからこそつらかったが、そうするほかない芸術家たちのことを思って、なんとか自分自身を納得させていた。そんなことをずっと繰り返しているうち、たかだか1000字を書くのがこんなにも難しくなってしまった。見ているものから受け取るのがこんなにも下手になってしまった。鑑賞するという行為のできが、まるで大学入学以前のような、お粗末な自分自身に戻っていくのがわかる。書いていることばだってぐんぐん精度が落ち、文脈が崩れ、支離滅裂になっている。これではだめだ、ほんとうにだめなのだ。泣きわめく自分を受け入れられない。
 だからどうか、こんな状況に負けないでくれ。毎日がどれだけつらかろうが、ほんのわずかでも文字を書き、昨日の文章を推敲しては悩む時間をなくさないでくれ。どんなメディアにでもいいから、思ったことを書き留めるのをやめないでくれ。それを読んだ自分がそのときのことをすぐ思いだせるように、なるべく精緻で平易に書くことに努めてくれ。とにかく、なんでもいいから、書くことをやめないでくれ。絶対にやめないでくれ。昨日の自分に負けないでくれ。コロナに負けないでくれ。仕事の疲れに負けないでくれ。どうか、どうか、負けないでくれ。

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