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見世物小屋に行ったことありますか

見世物小屋を知っていますか

もう、数十年前になるでしょうか。当時私は、地方都市に住む父方の祖父母のもとで暮らしていました。

旧暦の6月になると各地の神社仏閣で「ろっがっどう」(六月灯)という夏祭りが行われ、今週はこの神社、来週はあの寺、という風に、子供たちは学区を越えたネットワークを駆使して、走り回ったものでした。

境内にしつらえた舞台では様々な芸能が披露され、たくさんの屋台が並びます。射的ゲーム、りんご飴、金魚すくいなど、娯楽が少なかった時代の子供にとって、何物にも代えがたい楽しみでした。

しかも当時は、祭り時期に合わせて餅や菓子を屋根から投げたり、店舗によっては小銭をばらまく所もあり、子供にとっての稼ぎ時期でもありました。10円、20円で駄菓子が変えた時代です。

ある年の六月灯。多分、私は小学5年生だったと思います。じいちゃんとばあちゃん、近所のおばちゃんたちと一緒に、連れていかれたのは、「見世物小屋」というものでした。

もちろんこの時、見世物小屋という名称は知りません。おどろおどろしく描かれた看板があったことだけは覚えています。

覚えているのは「親の因果が子に祟り」の名セリフ。

▶見世物小屋とは
見世物小屋は、珍奇さや禍々しさ、猥雑さを売りにして、日常では見られない品や芸、獣や人間を見せる小屋掛けの興行である。 時代が下るにつれ、主に奇異な外見に重きを置いている点でサーカスと区別されており、海外では「フリークショー」の名称が用いられている。( ウィキペディア)

楳図かずお氏描くところの「へび女」が居ました。鼻だか、口だか、生きた蛇を出し入れするのです。

ろくろっ首の女性も居ました。見る間に首がニョロニョロと伸びていきます。仕掛けがあるとも知らない子供のトラウマとなりました。

今では差別用語となりますが「せむし男」や「小人」など肢体が不自由な人もいました。世間一般に異形とされていたのでしょう。

子供だけでなく大人も、異形を恐れ、慰み者にしていた無知な時代だったことは確か。

ニンゲンは残酷です。