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古いアルバム

 母の若かった頃のアルバムが3冊ある。
 母が死んで20年以上たつが、そのアルバムを見たのは遺品の引き取りの時と2度の引っ越しの時、今まででたったの3回しかなかった。
 次に母のアルバムを見返す時はいつになるだろう。また次の引っ越しの時か? あるいは自分が死んだ時に残された家族が私の遺品を整理する時か。その時が来るまで、アルバムは押入れにひっそりと保管されることになるだろう。

 私は自分の生きているうちに母のアルバムを処分しようと思った。このアルバムは私以外に価値がない。
 娘は母の死後に生まれたので、私の母を全く知らない。娘にアルバムを処分してもいいかと聞くと、お父さんの好きにしていいと言った。捨てないでとは言われなかった。

 私はアルバムを捨てることにした。
 アルバムの写真をもう一度見返すと、そこには私の知らない人たちがたくさん映っていた。母の映っている写真なら置いておく価値もあるが、知らない人の写真は捨ててしまってもいいと思った。もし母がまだ成仏していないのなら「捨てないで」と祟ることがあるかもしれないが、さすがにそれはないだろう。
 母の写真だけをアルバムから剥がしてデジタル化した。もうこれ以上写真が劣化することはないだろう。
 写真を紙で保存しなくなってからまだ歴史的にそれほど時間が経っていない。今の若い世代の人たちにとって写真とはアルバムの中の紙ではなく、スマホの中の画像データだ。私は母の写真を現代流にアップデートしたまでだ。

 せっかくだからデジタル化した写真を note に少し掲載しておこうと思う。
 私の母は芸妓だった。現在 note で連載中の『皐月物語』の芸妓・百合は母をモデルにした。もっともシチュエーションをモデルにしただけで、キャラクターの性格はまるで違うんだけどね。


長唄「越後獅子」
若かりし頃の母


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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。