彼女の評判(皐月物語 20)
藤城皐月が玄関を出ると、純喫茶パピヨンのマスターの息子の今泉俊介がすでに来ていた。稲荷小学校の朝は班単位の集団登校だ。班の集合場所は班長の家の前だ。6年生の皐月が班長をしているので、小百合寮の前に近所の子どもたちが集まってくる。
「俊介、おはよう」
「皐月君、おはよう。今朝はうちに来なかったね」
「うん。これからは家で朝ごはんを食べることになってさ。モーニングに行く機会が減ることになると思うよ」
「本当? それじゃパピヨン経営危機じゃん」
俊介は5年生。ブキミこと月花直紀や入屋千智とは違うクラスだ。俊介に聞いても仕方のないことだとは思うが、皐月は何でもいいから千智のことを聞いてみたくて仕方がなかった。
「俊介ってさ、3組の入屋千智って子のこと知ってる?」
「知ってるも何も有名だよ、あの子。それよりも皐月君がどうして入屋さんのこと知ってるの?」
「ちょっと夏休み中に仲良くなってさ」
「マジで? あの子って誰も寄せ付けないって話だけど、よく仲良くなれたね」
「たまたまだよ」
どうやら千智と仲良くなれるということは特別なことらしい。
「メッチャかわいいんだよね、あの子。でも授業以外はいつも帽子を深くかぶって顔を見せないようにしてるんだよな」
班の他の子たちも小百合寮の前に集まってきた。隣の旅館の次男の近田晶4年生で、弟の光は1年生だ。商店街にある時計店の次女の山崎祐奈は晶と同じ4年生。同じ通りにある美容院の長女の岩月美香は3年生だ。
皐月の班は男子4人、女子2人の6人だ。月花博紀も直紀も同じ町内に住んでいるが、大通りの向こうに住んでいるので別の班になる。
「じゃ、みんな揃ったし学校に行こうか」
班の先頭は副班長の俊介で、班長の皐月は最後尾からみんなを見守る役目を担う。
稲荷小学校への通学路は豊川駅前の商店街を抜けて、車も通れない細い路地に入る。皐月たちの班は路地に入ると、いつも隊列がバラバラになる。
どうせ車が通らないので見守りは適当でいいと判断して、皐月は班の子たちを注意しない。列を崩さない真面目な班もあるが、皐月の班はみんなでおしゃべりをしながら楽しく登校している。
今朝も路地に入ると俊介が列から離れて皐月のところにやってきた。この班の列を乱しているのは主に俊介だ。
「ねえねえ、入屋さんってさ、アイドル級のかわいさだよね。大きくなったらどこかのアイドルグループに入れるレベルだと思わない?」
皐月がアイドル好きになったのは俊介と純喫茶パピヨンのマスターの影響だ。この親子のアイドル好きは相当なもので、俊介は最近のテレビに出ているアイドルを、マスターは昭和のアイドルを一所懸命推してくる。俊介のお母さんは新旧問わず男性アイドルが好きなので、今泉家はドルオタ一家だ。
皐月は皐月で自分の好きな音楽をネットで探しているうちに地下アイドルに目覚めてしまった。
「そうだね。選抜どころかソロでメジャーデビューだってできるんじゃない?」
皐月は6年生の上司を全員知っているが、千智よりかわいい子はいないと思っている。
「皐月君、入屋さんに口きいてもらえるんだ。いいな~、超羨ましい」
「え~っ! 話せるだけで羨ましいってレベル?」
「そうだよ! だってあの子、全然男子と口きかないらしいじゃん。直紀が言ってたよ」
「そういえばブキミの奴、そんなこと言ってたっけ。もしかして俊介って彼女と仲良くなりたいの?」
「そんなの男子だったら誰だってそう思うよ。3組の奴らなんてみんなあの子と話したがっていたみたいだし、ぼくの2組の連中もみんなそう思ってるよ」
皐月はこんなに優越感を感じたのは初めてだった。博紀みたいにファンクラブができるよりも、千智のようなかわいい子と親しくできる方が幸せなのかもしれない。
皐月は千智と同じクラスの直紀が話していたことを思い出した。千智はすごくモテて、クラスの男子のほとんどが千智のことを好きだと言っていた。だが、クラスの違う俊介まで千智のことが好きだとは思わなかった。
「5年のはじめの頃は直紀も普通に入屋さんと話とかしてたって言ってたよ。でもある時から誰とも親しくしなくなっちゃったんだって」
「男嫌いだって言ってたな、ブキミ」
「男子だけじゃなくて女子ともあまり喋らないらしいよ。3組で何かあったのかもしれないね。ブキミからは特に何も聞いていないけど」
「そうなんだ……」
皐月は千智が自分から話そうとしない限り、ネガティブなはなるべく聞かないようにしようと思っている。
豊川稲荷で及川祐希に容姿を褒められた時に千智が見せた暗い表情が気になるのだ。あの時、千智はキャップで顔を隠そうとしていた。直紀の兄の博紀に会った時も警戒感を露わにしていた。これらは全部、俊介から聞いた話と繋がっているような気がする。
皐月がいろいろなことを考えて黙っていると、俊介が話題を振ってきた。
「そういえば皐月君って最近地下アイドルにハマってるんだよね。どのグループ推しなの?」
俊介のこういうところが皐月をいつも和ませる。
「おっ、聞いてくれるの? 推しはいっぱいあるよ。今ここで話したいのはやまやまなんだけどさ、話し始めると長くなっちゃうな……。もう学校に着いちゃうし、また今度一緒に動画でも見ながら話そうよ」
「いいね。でも、皐月君の好みってどんな子なんだろう? アイドルなら誰にでもかわいいって言ってるよね? 地下アイドルってレベルが低いんじゃないの?」
「いろんなタイプのグループがあってすごく面白いよ。マジ、みんなかわいいから」
前を歩いていた祐奈と美香が振り向いて、笑いながら怒っているような変なテンションで絡んできた。
「また二人で女の子の話してる~」
「アイドルの話だよ」
「アイドルの話なんていつものことじゃん。そうじゃなくて、その前の話のこと」
山崎祐奈は4年生で、岩月美香は3年生なので、二人ともそろそろ恋愛話に興味を持ち始める年頃だ。
「なんだ、祐奈ちゃん聞いてたのか。それは皐月君の彼女の話で…」
「ちょっ、俊介。お前勝手に話作るなよ。俺、彼女なんていないから」
「私、その入屋さんって子のこと知ってる。女子に人気あるよ」
「祐奈ちゃん、入屋さんのこと知ってるんだ。4年生の間でも知られているの?」
「だって4年と5年は同じ階だもん。廊下で毎日見るよ。ファッションとかあんまり女の子っぽくなくて、帽子で顔を隠しているところがかっこいいの。外人の友だちと英語で話しとかもしてるし、私憧れているの」
「あの子ってそんなに評価が高かったのか……」
喋りながら歩いていたら校門まで来てしまったので、みんなで出迎えの男の先生に挨拶をした。この日の先生は皐月と関わりのない先生なので名前を知らないが、定期的に顔を合わせるので、何度も話したことがある。
「君の班はいつも列がグチャグチャだね」
「うちの班はみんな仲がいいから……ハハハ」
先生の含みのある物言いを適当に笑ってごまかして校門を抜け、みんなそれぞれの教室へ向かった。祐奈がまだ皐月と話したそうにしていたが、笑って手を振って別れた。二学期初日はまずは気分のいいスタートだ。