講義ノート「近現代文化の諸問題」第1回 歴史は繰り返されるのか~柄谷行人「一九七〇年=昭和四五年」
新元号「令和」に改元されてから既に三年が経ちました。
歴史上はじめて、四書五経のような中国の古典ではなく、『萬葉集』という「国書」が出典になったということで、一つのお祭りムードになったことは、皆さんも記憶に新しいところでしょう。
しかしながら、喜びもつかの間、改元から間もなく大型台風の到来や新型ウイルスの席捲、それに伴う経済不況も予測され、出発当初から厳しい時代の予感が漂っております。
令和元年のの秋、新天皇陛下の即位儀礼と共に古来からの皇位継承に伴う儀式・大嘗祭が斎行され、奉祝パレードなどを目にした人も多いのでは…と思われます。
その時、いくつかのニュースで「今の時代は昭和初期に似ている」との指摘が見られました。
改元・即位の奉祝ムードの中、実際は世界では大恐慌が起き、大震災からの復興も間もない時期に、大学生の就職難、格差社会の蔓延が起こっていたのです。
確かに歴史に方程式などあるはずがないのですから、今から九〇年前と同じことがそのまま繰り返されるとはとても考えられません。
しかし、平成から令和にかけて我々が生きてきた時代は、バブル崩壊から不況、流行病の蔓延と、度重なる震災とその復興、政治の混迷と対外関係の緊張…と、嘗ての大正から昭和期にかけてを髣髴させるような出来事が続いております。
それを最初に指摘した人がいます。柄谷行人という文藝批評家です。
政治学者でも経済学者でもない文学者が、どうしてこのような「歴史の法則性」に気づいたのか、興味深いところですが、まずは彼の文章の一部を紹介したいと思います。
例えば彼は、「昭和○年代」という日本の年号が示す符号について着目しています。
現在では如何に国民が新元号に好感を抱いているとはいえ、実際は西暦を使用している人が殆どでは…と思われます。
この文章の書かれた今から三十年ほど前の昭和六十年代当時でも、年号よりは「1980年代」と、西暦が使用される増えていました。
そうした時代状況を踏まえながら、以下の文章を読んでください。
※以下、引用
>柄谷行人「一九七〇年=昭和四十五年」
(『終焉をめぐって』講談社学術文庫、一九九五年より。初出『海燕』一九八八年一月号)
たとえば、「昭和初年代」とか「昭和十年代」という言い方はポピュラーだが、そのような言い方が可能なのは、「昭和三十年代」までである。「昭和四十年代」という表現はめったに聞いたことがない。というのは、「昭和三十年代」には「一九六〇年代」という表現がすでにオーヴァーラップしていて、以後「七〇年代」や「八〇年代」というのが普通だからである。「昭和三十年代」と「一九六〇年代」とでは、時期が五年ずれるだけでなく、だいぶニュアンスが違ってくる。後者が国際的な視点において見られているのに対して、前者は、いわば、明治以来の日本の文脈を引きずっている。それらが同時に共存しえたのが、およそ昭和三十年代である。その意味では、のちにいうように、「昭和」は四十年(一九六五年)あたりで終わっているといってもよい。つまり、こうした言葉の「用法」は、厳密な規定よりも正確にその「意味」を示しているのである。
(中略)というのは、昭和二十年以前の思想的問題は、ある意味で、明治二十年以前のそれの〝再現=表象〟だったからである。たとえば、昭和十一年の2・26事件は、明治十年の西郷隆盛の精神を受け継ぎ明治維新を徹底化する「昭和維新」として表象(再現)されている。さしあたって、つぎのように、明治二十年以後と、昭和二十年以後を対比させてみよう。
明治 昭和
(10年 西南戦争) (11年 2・26事件)
22年 憲法公布 21年 新憲法公布
27年 日清戦争 26年 講和会議・日米安保条約
37年 日露戦争 35年 安保闘争・新安保条約
39年 東京オリンピック
43年 韓国併合・大逆事件 43年 全共闘運動
44年 条約改正 44年 沖縄返還
45年 乃木将軍殉死 45年 三島由紀夫自決
西暦で考えたときには見えないような平行性がここに見いだせる。これらの驚くべき照応は、いずれも、日本が近代国家の体制を確立し、経済的成長を遂げ、不平等条約を改正し、西洋列強に並ぶ国家となって行く過程においてである。この平行性は、むろん日本内部からのみ生じたのではない。それは日本が西洋とアジアのなかに存することから来る諸関係構造が基本的に変わっていないことを意味している。いいかえれば、「明治的」とか「昭和的」といったものは、こうした関係構造が露出する言説空間として見ることができる。そして、大正期と1970年代の言説空間が類似するのは、ある達成感とともに自足的な内面化が生じたことであり、こうした構造が忘却されたことである。<
以上、柄谷氏の文章から一部を引用しました。
柄谷氏は、元号という日本特有の時間軸を例に、そこに西暦にはない独自の流れを見出しています。
特に注目したいのは、45年に及ぶ明治史の流れと、昭和の45年までの歴史の類似性です。
上記の年表を見ると「明治10年」に西郷隆盛が明治新政府に反乱を起こした西南戦争が起きています。
それは二〇世紀初頭の政党政治に反乱した「昭和11年」の2・26事件に類似するものです。
青年将校たちは大西郷に続く「真の維新精神」を掲げていました。
その後、戦争と外交の時代にズレはありますが、「明治22年」に大日本帝国憲法が公布され、「昭和21年」に現在の日本国憲法が公布されています。
これは新しい政治体制での国家の基本方針が固められた時代でもあります。
「明治27年」の日清戦争、「昭和26年」の講和条約は、新生日本が模索期を経て、国際社会で認知される過程と平行関係にあります。
その後、明治は「文明開化」、昭和は「高度成長」に向かうわけですが、明治38年に日露戦争に勝利することによって、明治国家は一つの近代国家の完成を見ることができます。昭和では「39年」の東京オリンピックが、復興から高度成長の一つの達成を象徴する出来事です。
「明治43年」、韓国併合の年の大逆事件で日本の社会主義運動は「冬の時代」を迎えますが、これは「昭和43年」の全共闘運動、そして47年の連合赤軍あさま山荘事件を経て、日本の新左翼運動が失速していく時代と類似しています。
そして、「明治45年」、明治天皇の崩御。その時、日露戦争の陸軍大将・乃木希典が天皇の後を追って殉死しますが、「切腹」という方法で旧時代の終焉を示したという意味では、三島由紀夫の自決事件を想起させるものがあります。
以降、年号の「昭和」は二十年近く続きますが、柄谷氏も指摘するように、「一九七〇年代」「八〇年代」という言い方が人々の間でも定着していきます。
因みに大正の年数には「1911」、昭和の年数には「1925」、平成は「1988」、令和は「2018」をそれぞれ足すと、西暦の年数が簡単に出せます。いずれも改元された年度にあたります。
明治に関しては「1900=明治33年」と覚えておくと便利です。例えばそれに10を引いた「明治23年」は「1890年」、さらに10を引いた「明治13年」は「1880年」です。
さて、上記の文章で柄谷氏は日本の近代を「60年周期」と捉えています。
日本には満年齢で六十一歳を迎えると「還暦」を迎える風習がありますが、これは「甲子」や「戊辰」といった十干十二支の組み合わせが、丁度60年で一回りすることを考えれば、妙に納得してしまう見方です。
ところが1995年(平成7年)、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教の一連の事件を目の辺りにし、柄谷氏本人はこの見方を少し改めるのです。
それが2018年に書かれた以下の文章となります。
> 「思想的地震」について~『柄谷行人講演集成 1995-2015 思想的地震』(筑摩書房)
私は1980年代後半に、60年周期説を唱えていた(「一九七〇年=昭和四十五年」『終焉をめぐって』所収)。私はそこで、「昭和は明治を反復する」ということを、年表によって示した。昭和45年は、明治45年(大正元年)に当たる。そうすると、1990年代は、1930年代に類似するだろう。確かに似ている。しかし、何かが決定的に違う。
私は90年代になって、徐々に60年周期説を疑い始めたが、それをはっきり放棄するにいたったのは、オウム真理教の事件があったからだ。私はつぎのような噂を聞いた。オウムが事件を起こしたのは、私の反復説を読んだからだ。私の示した明治と昭和の年表を未来に延長すると、1999年には日米戦争が起こる。ゆえに、その前に、行動に移らねばならない。オウムが蜂起を考えたのは、そのためだというのだ(のちに、オウムの元幹部がそのことをウェブ上に書いていたので、たんなる噂でなかったことを知った)。したがって、私は60年周期説を放棄したのだが、そのとき、たんに120年周期で考えればよいのだ、ということに気づいた。その意味で、現在を新自由主義=新帝国主義としてとらえる私の見方も、95年に始まったといえる。
(Webちくま http://www.webchikuma.jp/articles/-/486より)<
「60年周期説」を唱えた本人が、当時の新興宗教による凶悪事件を前に、自身の考えを改めるとは並々のことではありません。
果たして現在は、柄谷氏の新説にいう「120年周期」にあたるのでしょうか。
ひとつ考えられるのは冒頭で述べた通り、昭和史が明治史の繰り返しというなら、平成史は大正史の再現・反復…という見方も可能ということです。
もちろん、15年に満たない大正史は、30年以上に及ぶ平成の歴史の約半数の年月に過ぎません。
ただ、「バブル崩壊から長期低迷、震災からの復興、政治の迷走」という流れは、平成の時代でも繰り返され、それはそのまま今なお天災や不況の復興期にあたる現代の時代を先取りしているという見方もできます。
果たして「令和」の幕開けは、「昭和」の改元後の再現・反復と繋がっていくのでしょうか。
近現代史の結果を知っている我々からすると考えたくない妄想かもしれませんが、我々は未来を正確に予測できない以上、先人たちが生きた過去の時代から、何らかのメッセージを汲み取ることができるのではないでしょうか。