種があること
作物は突然変異によって「種をもたない品種」ができることがあります。
本来なら種がないので、植物として命をつなぐことはそこで止まります。絶やさない方法として、接木をしながら工夫して栽培します。
それらの品種は果物に多く、種がなく食べやすいということで江戸時代あたりから広まりました。
しかし同じ時代、子供が産めない女性が離縁されることがあったため、種がない作物を食べることは、縁起が悪いと言われていました。
食べやすそう、縁起悪そう、表出したものをみると様々な表現ができます。
でも、意識はかならずしも表出するとはかぎりません。
種をもたない品種は、花粉をつくることを忘れています。
果実は、種からでる成長ホルモンが内側からはたらきかけることで膨らみます。
種のない品種は、種からの成長ホルモンを受けない分、実から成長ホルモンがどんどんでるようになります。
こうして種のある品種と同じように膨らみ、実をつけることができます。
しかし種をもたない品種も、めしべに他の品種の花粉をつけると、種のある実をもちます。受粉を思い出すと、「種をもつ」ということも思い出すのです。
種をもつことを忘れているときも、種をもつという意識はどんなときでも持っています。
その意識を持ちながら、与えられた環境で、求められた姿で生きています。
種の実体がなくても、「意識」が種なら、すべての作物には種があって、
確実に思いが実る環境を、静かに待っています。