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「厳しい先生」に心が動いた話

子どもには「時には厳しく指導する」…っていうけど、その厳しさってなんだろうな、と考えさせられた出来事があります。

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パートで入職したての保育園に、厳しい先生がいた。O先生。ベテランの先生で、子供を甘やかさない。ベタベタしない。保育園の先生っていうより中学校の運動部の顧問の先生みたいなイメージで、冷たいっていう程ではないけど厳しい人だった。

保育園の先生ってこんな感じの人もいるんだ!?と面食らった。

でも、O先生は丁寧に仕事を教えてくれて、子供たちの信頼も厚くて、中身のある厳しさなんだなぁ と思っていた。

近寄りがたさもありつつ、でも尊敬が増していたころ、3月の卒園シーズンになった。


保育園の卒園って不思議だと思う。卒園式があるのは3月下旬の週末。そこでは保護者を呼んで感動的なセレモニーが開かれて。でももちろん働くママパパたちに春休みはないから、卒園式の翌日も登園して、3月末日まで顔を出す子が多い。

その子たちの「本当の最後の日」に子供たちだけで歌の発表会をやるというので、3月の最終週は練習をしていた。朝出勤すると、O先生の熱血指導が始っていた。

そう、この時の私は「O先生って熱血キャラなんだな」くらいに思っていた。なんか体育会系の人なんだなって。

O先生は、適当に済まさない。パプリカを歌う子供たちの、歌いだしが揃わなくて、やり直しをさせる。間奏が終わったときの歌いだしは「こう!」。振り付けも身振り手振りで「こうじゃなくて、こう!もう一度!!」

きっと文字じゃ伝わらないその時のO先生は、熱意そのものだった。

保護者もみない内輪だけのちょっとした会で、卒園生が一曲披露するだけのこと。…と思って見始めた私は、考えを改めてさせられた。

なんというか、O先生の言葉の発し方、視線、身振り、手振り、全部に熱がこもっていて、自分の持っているもの全てで子供たちと向き合っているのが、ありありと分かった。

子どもたちも、O先生に答えていた。その時は分からなかったけど、この時間にただ一人の園児も「疲れたー」とか「遊び行きたいー」とか言い出さなかったのは凄いことだと思う。トイレ休憩が終わったら、さっさと持ち場に戻ってきた。トイレに行かない子は、休み時間も自分で振りつけをなぞっていた。

O先生と子供たちの、濃密な時間だった。というか、朝開始した時点で歌も振りも お遊戯レベルには達していた。ふざける子もいなかったし。でも繰り返しO先生と子供たちとで反復して、最後には「いや、これ保護者に見せないの勿体なすぎるwww」と思うほどの完成度になっていた。

こんな保育があるんだ!これが保育なんだ!

単に歌を歌うこと、歌わせることに意味があるんじゃないんだ。

新人の私も、おこがましくも、そう思った。いや、新人にだってわかった。O先生がどれだけ真剣だったか。それだけじゃなくて、子供たちの方もそれに応えよう、ついて行こう、という姿が感動的だった。

この子たちはこの贈り物を持って卒園するんだと思った。…仕事中いつもこんなポエムみたいなこと考えてるんじゃないんです。そう思わざるをえないほど、O先生から卒園生へのプレゼントのような、特別な時間だった。


O先生って凄いんだなぁ。としみじみ思っていたその日の午後、退勤するんで職員室によったらO先生がいて「私、今週で最後なんです。お世話になりました」っていうから本当にびっくりした。えっっっ!!!!

ベテランのO先生が!このフロアの主任の先生が!!!退職!??

私に向けて、「頑張ってください」という激励?の言葉を残し、それがO先生とのお別れになった。

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あれから何年か経って
厳しい先生は見かけるけど、あの日ほど特別な時間、特別な保育は見たことがありません。

TVで体育会系の先生とか、近所のママさんから「私は子どもを甘やかしませんから」みたいなことを言われるとき、それって、どういう感覚でいってるんだろうと考えます。

甘やかさない、とか厳しく接するって言うのは、それが活きてくるのは、本質がともなってこそなんだと、思わされた出来事でした。

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