「卑弥呼」、やめませんか? その2
わたしは「卑弥呼」という呼称を無かったことにしようとは思っていません。ありがたがるのをやめませんかという趣旨です。「卑弥呼」という呼称は歴史的事実というヤツです。否定しようもない事柄です。
そもそも漢字や箸、茶碗などの文化、仏教などの宗教や思想はチャイナから導入しているので、どう考えても日本は文化的に風下、下流に位置していました。しかしながらそれがどうした、とも。
とはいえすべての面で日本が下流にあったとは考えていません。日本は縄文時代から現代に至るまで「カワイイ文化」の発祥地です。
福島県郡山市の縄文時代の遺跡から発見された土製品。このセンスです。
埴輪においてもすでに縦目が発明されています。
中華思想に侵された日本人が「中国ではリアルな兵馬俑、日本では埴輪」と埴輪をバカにする人が身近にいましたが、わかってないなと。わたしたちの祖先はリアルな造型になんかに価値を見出していなかっただけです。今のわたしたち同じように。アメコミのようなリアル調なマンガとデフォルメされた日本のマンガ。日本でより愛されたのはどちら?
見たままを写すことに、日本人は例外もありますが価値を見出さなかった。
埴輪、浮世絵、能、歌舞伎、文楽など。それはいまマンガ、アニメ、VTuberへとつながっています。このデフォルメ文化は日本が上流にいるといえるでしょう。しかしながらやはりこれも それがどうした? なのですが。上流が偉いとは思いませんし。同じく下流がダメだとも。
いやむしろ新聞(人民日報)の本文を横書きにして縦書きの文化を捨てつつあるチャイナに対し、本家がそれはないわ、ちゃんとせえや、文化護れやと憤っております。
チャイナでは書道も廃れつつあるとか。
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20190626037/
さもありなん。縦書きを捨てればそうなりますよね。漢字は縦に書くモノ。「蝸牛考」ですか。それにしては日本だけですね…。なぜ日本にだけ残るのか。不思議な国ですよ我が国は。
日本人は縦でも横でも読めてさらにそれを混在させてもOK。本文は縦書きで写真のキャプションは横書きなど珍しくもありません。これが我が国の文化。しかしながら縦書きの文化、日本ではなかなか廃れませんよね…。不思議です。縦書きが残っている巨大(産業・経済的に)文化圏は日本だけだと聞いたことがあります。チャイナも残してくれれば安心だったのですが。adobe社はDTPソフト、インデザインにおいて縦書き機能を実装してくれています。おそらく日本だけのために。さらには「ふりがな」というこれまたドメスティックな機能まで実装してくれています。「ふりがな」はマイクロソフトのオフィス製品にも実装されました。エクセルではPHONETIC関数ですね。
https://support.microsoft.com/en-us/office/phonetic-function-9a329dac-0c0f-42f8-9a55-639086988554
ここには
Extracts the phonetic (furigana) characters from a text string.
とあり、phoneticとは ふりがな であると定義されています。
これは日本という国がきちんとお金を払ってアプリを使うという文化が根付いており、また基礎学力が平均よりも高いということもあるのでしょう。開発費を使ってもペイできるという経済原理が働いているということでしょう。これまた中国が味方についてくれれば…。海賊版の横行は直らないでしょうが人口という分母は巨大ソフトウェア産業にとって無視はできないはず。なのになぜ縦書きを捨てようとしているのか。
日本人でありながら日本人のこういうところが不思議です。実際この瞬間も横書きの文字を入力しているのにもかかわらず、Kindleでは縦書きで表示させていますし、マンガのフキダシも縦書きで違和感を感じません。そもそも漢字カナ交じりの言語だからそのあたりは厳密ではないのでしょうか。
ずいぶん横路にそれてしまいましたが、アカデミアの世界で『魏志倭人伝』についての研究をすればいいのです。義務教育のレベルでもそれが行われてもいいでしょう。しかしいまだに卑弥呼がどこにいたのかわからないような精度なのです。ご存じかどうかは知りませんが桜井市では「ひみこ」を市のキャラクターにまでしているのです。市からもらう封筒には彼女がプリントされています。ここまでありがたがるのはいかがなモノかというのがわたしの趣旨です。
https://www.city.sakurai.lg.jp/sosiki/machidukuribu/kankouka/himiko/1394090129992.html
そんなにありがたがるモノなの? と。しかも蔑称ですよ、と。
ネットの世界では大阪府は「大阪民国」と僭称されます。
https://ansaikuropedia.org/wiki/大阪民国#/media/ファイル:Vi7955738317.gif
大阪府出身のわたしはこの地図を見て、腹を抱えて笑いましたが、これを大阪府庁が公式に扱いだしたらさすがに怒りますね。
https://dic.nicovideo.jp/a/大阪民国
ちなみにわたしの出身市は「渡航の是非を検討してください。」レベルです。高槻市が危険エリアとされているのには笑います。高槻市民は怒りそうですが。府民であればその理由は察することができるかも、です。そろそろ危険レベルを下げてもいいような気もしますが。地域の代表として彼女が圧勝するようなことはもうなさそうですし。
チャイナから見て「卑しい巫女が支配する下等な国」。
まあそう書かれとったことはしっとるけどそれがどうした? 程度でいいのでは。
これを未だにありがたがるのはわたしたちもまた中華思想に洗脳されているのではないかと思った次第であります。
わたしは先日『正倉院展』に行ってきました。そこに「倭国」という朱印がおされた文書を見て、いやな気分になりましたね…。しかしながら仕方が無いかと。我らコレクターの先達、聖武天皇の時代ではまだいいかと。でもそれから千年以上たった現在でも看板をたてたり市のキャラクターとしたり、いまだに「卑弥呼」をありがたがっているのはもうさすがにやめたほうがいいのではないかと。
邪馬台国論争は床屋談義レベルで人口に膾炙した話題ですが、これもわたしはよくわからないのです。意味がないと。確かに貴重な史料ではあるのですが、精度が無茶苦茶。そんなのいくら議論しても結論はでないのではないかと。アカデミアの世界でならいざしらず、床屋で談義する内容なのかと。どこまでいっても「わからない」としか言いようがありません。それを踏まえての話題ならばいいのですが、畿内だ九州だと決めつけにかかる。隣町においしいパン屋さんができたらしい、程度の内容。そこに行ってもいないのに、「あんパンがすばらしい」、「いやクロワッサンこそ至高」と議論するようなモノ。
「倭の五王」についても同じです。「倭の五王」が誰を指していたなど結論がでるわけがありません。チャイナで関連書物が発見でもされない限り。『魏志倭人伝』補稿とか注釈書とか。「空白の四世紀」もそう。あくまでチャイナから見てという視点です。くりかえしますがアカデミアの世界では存分に研究・議論していただきたいのですが、日本には『記紀』があり、わたしも空白だった時代は無いとはいえないところがやっかいなのですが、日本史にはいわゆる「空白の四世紀」はありません。この間、チャイナでは大規模に国が荒れていただけで、チャイナが周辺国の記事など国の歴史として残す余裕がなかっただけ。当時をリアルタイムで記した歴史書はありませんが、史跡から発見された遺物はあるのです。
これらのことにもわたしは日本人に残る中華思想を感じるのです。中国が認めたから正解、というマインド。大学卒業レベルの人でも「空白の四世紀」が、日本史において白紙状態だったと勘違いしている人が実際にいました。いや歴史は積みあげられていたのです。チャイナがそれを観測できていなかっただけ。『魏志倭人伝』に書かれたその期間とされる「邪馬台国」には牛馬はいないと書かれていますが、それこそ箸墓の周濠から馬具が発見されています。逆に桜井市は邪馬台国論争から抜ければいいのでは。うちとは違うわ。うちには馬おったし、と。
https://jvma-vet.jp/mag/05501/08_1.htm
そんな精度、日本をバカにした歴史書よりもせっかく『記紀』があるのだし、そちらから引用してキャラをつくったほうがよっぽどいいのではないかと考える次第であります。