つまらない素人カメラマンのコンプレックスと、見失っていた自分との焦点距離。
「きっと写真が好きじゃないんだと思うんですよ。」
まさか朝の7時からコンプレックスと向きあう時間になるとは、おもってもいなかった。鈴木心さんと話した1時間30分。あの朝、わたしの中での写真への想いが何か変わった。
これはこの記事にあるオフラインフォトサロンをうけて自分のことを振り返ってみた、アンサーnoteである。個人的な話しか書いてませんのであしからず。
わたしは写真が嫌いなのか
写真を撮ることは好きだ。被写体の自然な表情が撮れたとき、たのしい空間や切ない雰囲気などその情景を切り取れたときもめちゃくちゃ嬉しい。そしてそれを見て喜んでくれたり、楽しくなってくれるひとがいることに喜びを感じる。だからきっと写真を撮ることは好きだけど、写真自体が好きかといわれると確かに現時点ではわからなかった。
いわゆる「写真家」や、「プロのカメラマン」になりたいと思ったこともないし、自分の作品だけをあつめた写真集なんてそんな恐れ多い。わたしがいちばん手っ取り早く誰かの力になれるのがたまたまカメラだっただけで、別にカメラでなくてもいいのだ。人から写真を撮って欲しいとお願いされることが増え、わたしでお役に立てることがあればと思って引き受ける。他に特にスキルもないので、わたしは写真を撮り続けていただけだった。
カメラマンコンプレックス
わたしが本格的に写真を撮りはじめたきっかけは、池袋にある本屋さんのお客さんが集まる写真の部活だった。そこに集まる人はみんな素人なのにプロ級の機材で、風景・鳥・モデルさん、何を撮っても上手に写真を撮る人ばかり。みんな楽しそうに機材やレンズの話をしているが、当時コンデジに毛が生えたぐらいのミラーレスを使っていたわたしは最初はみんなが話しているモノの何がいいのか全然わからなかった。
授業の中でみんなで写真を見せ合う時も緊張した。撮影スキルがあるわけでもなく、機材の使い方も適当で、どうやったらプロみたいな写真が撮れるかわからないのかずっとコンプレックスだった。唯一他の人に胸を張って言えるポイントは、少しピントがずれていたとしても被写体の表情をおさえることぐらい。もともと料理をうまく撮るためにと写真を習い始めたが、いつのまにか人物を撮るほうが圧倒的に楽しくて写真を撮るのが大好きになった。つくられたものではない、二度と同じものが撮れないリアルでライブ感があるから。
最終的に写真を撮るのが好きになったわたしは、いわゆる少しいいカメラを買った。中途半端に1ランク上のものを買っても絶対その次が欲しくなるから、どうせなら最初から2ランクぐらい上のものを買ったほうがコスパがいいという部活仲間の助言と、わたしもいいカメラを買えばもっといい写真が撮れるかもというよくある幻想、である。みんながいい機材を使っているから、いい機材を買わないとカメラマンと名乗れない。もちろん現実はそんなに甘くなく、今でこそマニュアル設定での撮影もようやくつかめてきたぐらいでほぼ遠い。でも、ある程度の練習とそれなりの機材があれば多少の悩みは解決できるんだなというのはよくわかった。
小手先のスキルがあがるほど停止する思考
問題はそこではなかった。写真のコミュニティから暫く離れ、個人で写真を撮り続けているうちに少しづつ上手に撮れるようになってきた。でもそうすると今度は「この先どうすればいいのか」正直わからなくなっていた。
自分のカラーってなんだろう、なんで私は写真を撮っているのだろうか、なんでこんなに現像がめんどくさいんだろう、もっとわたしよりいい人がいるのになぜわたしに依頼してくれるんだろう、わたしの強みってなんだろう、これからどのスキルを強化していけばいいの?別にプロのカメラマンになりたいわけでもないのに、考えれば考えるほど迷走していたし、思考停止していたように思う。
だからまた同じことを繰り返そうとしていた。そろそろ機材を買い替える頃なのではと。スキルや機材のレベルがあがれば不安が消えるかもしれないと、自分で考えることを辞めて逃げていたのだ。
本当の問題は自分と向き合えていなかったこと
「機材やレンズなんて技術進歩で未来には差はなくなり、誰が撮ってもうまくとれるようになる。だからこそ、なぜ自分が撮るのかが大事なんだ。」そんな当たり前で一番大事なことを鈴木さんは教えてくれた。
そういえば他の人の写真を見ることも、写真展に赴くことも、美術館に行くこともここ最近めっきりできていなかった。作者が何故この作品を作ったのか、それに対して自分はどう思ったのか、圧倒的にクリエイティブなものと自分の感性との対話が足りていなかった。
自分はどんな写真が撮りたいのか被写体とのコミュニケーションを取りやすい距離はどれぐらいか相手の魅力を自分ならどう引き出せるか
人にお願いされて写真を撮る事が増えてから、いつのまにか自分がどう撮りたいかよりも、相手はどう撮られたら嬉しいかばかり目がいっていた。「自分」がすっぽり抜け落ちていたのだ。だから機材が欲しくなったり、自分以外のところに救いを求めてしまう。
「別にみんながポートレートは85mmって言うからってそんなの真似しなくていい。機材に自分を合わせに行くのではなく、自分に合う機材を選べばいい。」それでいいのだと、ほぼ45mmの単焦点1本でやってきたわたしはこの言葉に救われた気がした。
自分との焦点距離を合わせる
ここまで書いてみて、わたしはまだ写真に対してやることがたくさん残ってると思った。こんなにも写真を撮ることに想いがあるのだから、中途半端にその想いをピンボケさせるのはやめようと朝のオフラインサロンの時間をきっかけに思うことができた。
別にそこまでのものを求められているわけではないし、いつまで写真を撮るかわからないし、写真が好きと胸を張って言えるようになるかわからないけど、もう少し自分と向き合って納得ができるようになるまでは続けてみよう、そう思った金曜日の朝だった。
(Model:megumi)
「おいしいものを食べている時がいちばん幸せそうな顔をしているね」とよく言われます。一緒においしいもの食べにいきましょう。