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3月11日のその後

2011年3月11日に起こった地震による津波で甚大な被害を受けた、宮城県東松島市を初めて訪れたのは同年4月9日の事だった。
1年目は瓦礫撤去のボランティアとして、翌年には倒壊したビニールハウスの再建活動として延べ10回以上訪れた。
その後この経験を人に話す事はあまりなかったし、正直なところ自分でも忘れていたのかも知れない。
先日ひょいと古いSDカードが出てきてデータを見ると、当時現地で撮った写真が入っていた。
とても凄惨な瓦礫だらけの写真だ。
その写真をほとんど公表した事はない。今後も積極的に人に見せる事はないと思う。

誰かが瓦礫の中から掘り出して見晴らしのいい場所に置いた像

当時のボランティアチームのリーダーの「地元の人たちには10年後には我々の存在など忘れてほしい。復興とはそういうもの」という言葉が胸に残っている。

360°どこを見回しても絶望としか言いようのない光景だったけど、瓦礫の間を縫って鬼ごっこをする子供達の姿を覚えている。

津波でも倒れなかった松の木
まだ残っているのかな

そうした希望の種のような物が今あの地で花咲いている事を切に願っている。
子供が産まれたらまた訪問してあの美味しいホヤを味わってほしいなと思う。



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