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写真を撮る人の背景について考える

私は写真(絵でも彫刻でもいい)を観て「お、いいな」と感じた時に、ついそれを撮った人の背景(バックボーン)について考える。性別や年齢、職業などいわゆる属性というやつだ。人によっては作品単体で評価すべきで作品以外の情報は不要という考えもあるみたいだけど、私は正規の美術評論の教育など受けていないのでどちらが正しいか分からない。
今はプロの写真家の個展や写真集だけでなくSNSで写真を見ることが多い。作品として投稿している人もいれば食事や読んだ本の紹介など日々の暮らしをアップしている人など様々なスタイルがある。その中で目を引く写真があると当然プロフィールを見るし、雑誌を読んでいて魅力的なポートレイトがあるとクレジットを見てネットで検索したりする。つまりその人の人生背景がその写真にどういう影響を及ぼしているのか知りたくなるのだ。
ただし「障害を持っている、大病を患っている、芸能人として活躍している」などの情報が前もって頭に入っているとかなり見方は変わってくる。「障害があるのにすごい」という慎重さを欠いた表現をする人も出てくる。なので背景を知った上で観るか、観た後に知るかでだいぶ意味合いは変わってくるだろう。
なぜあらためてそんな事を考えているかというとイギリスのフォトグラファーGiles Duleyの写真集『I Can Only Tell You What My Eyes See』を手に入れたからだ。

彼の情報を紹介するとどう繕ってもセンセーショナルなものになってしまう。アフガニスタンで取材中に爆弾によって両足と左腕を失ったという情報から全く影響を感じずにこの人の作品を観ることはできなかった。
この写真集にはボートで海を渡り亡命するシリアの難民や、紛争地域で暮らす人々の様子やポートレイトが収められている。命がけで海を渡る人々の中に幼い子供がいる写っているのを見ると胸が締めつけられるし、ポートレイトやスナップには現地に溶け込んでいる彼の人柄が写っているようだ。
ただ正直な感想だと報道写真やポートレイトとしてもっと高いクオリティの写真を撮るフォトグラファーはたくさんいると思う。やはりどうしても彼の偶発的な個性の情報が私にとって作品を特別なものにしている。その情報を知らなかったら私は個人輸入してまでこの写真集を買っていただろうか。

余談だけど彼とは2018年に会って話をしたことがある。彼が両足に義足を装着している関係から私が聴講した義足関連の学会にゲストとして参加して写真展を開催していたのだ。ファッションカメラマン時代に撮ったというレニー・クラヴィッツの事を聞くと「キャラも家もcoolだった」とユーモア混じりに話してくれた。「私は写真を撮るから君は義足を作ってくれ。それが世界の状況を変えることにつながるんだ」と語ってくれた彼も最高にcoolだった。

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