日本を守った偉人 和気清麻呂~その1~
和気清麻呂の功績とは
日本を守った偉人中の偉人。この人がいなければ本当に、今、この国は存在していません。
和気清麻呂の功績は、道鏡という僧侶が天皇に即位するのを阻止した。ということで知られています。しかし、それだけではその偉大さを伝えることができません。
江戸時代最後の天皇、孝明天皇が清麻呂に護王大明神の称号を贈り、続く明治天皇は、京都御所のすぐ隣に清麻呂をご祭神とする護王神社を遷座させました。
さらに正一位という、神社で最高の位を天皇から直々に贈られています。後年、清麻呂自身にも正一位が与えられました。これ以上ない最高の栄誉です。
なぜ、孝明天皇、明治天皇のお二人は、和気清麻呂に格別の名誉を与えられたのか?
それは、日本という国のかたちを知るとわかるのです。
世界で唯一のシラス国、日本
世界の他の国々にはなく、日本にだけあるもの。それは天皇というご存在。これこそ、日本を日本たらしめるものです。
私たちの国日本は、天皇と国民が親子の関係にあって、愛と信頼のもとに国が成り立っています。この国のかたちをシラス国といいます。
これまで世界史に存在した多くの国々は、国王の権力によって支配されました。権力によって支配される国の在り方をウシハク国といいます。
永遠に続く権力は存在しません。なにしろ臣民に恐怖を与えて国を維持するのですから。やがて、より強い権力者が現れて王位を奪う。
権力者は変わっても、恐怖による支配が続くことは変わりません。このことが延々と繰り返された挙句、王制は廃止され共和制が産まれる。これが、ヨーロッパの歴史ですね。
対してシラス国は、権威によって統治される国の在り方。恐怖による支配ではなく、信頼によって国を治めるやり方です。天皇の愛と国民の信頼、この二つがあって成り立つ国の在り方です。
神武天皇以来、第126代今上天皇にいたるまで、2680年続いているシラス国。
しかし、ウシハク国になるかもしれない国家的危機が奈良時代に起こりました。
それが道鏡事件です。
皇統を護った和気清麻呂
奈良時代後期、女帝称徳天皇の病を治したことがきっかけで、法王という仏教界で最高の位まで上り詰めた道鏡。太政大臣を超える位に就き、政治的実権も手に入れます。
権力欲を膨らませた道鏡は、さらに皇位に就くことを企みます。(道鏡について興味のある方は、道鏡事件、宇佐八幡宮神託事件などで調べてみてくださいね。)
宇佐八幡宮に「次の天皇に道鏡が就けば、天下は太平になる」という偽の神託を出させるのです。これには、道鏡派の天皇も動揺して真偽を確かめるために使者を派遣します。
この使者こそが、和気清麻呂。
清麻呂は、出発前に道鏡に呼ばれます。「俺を天皇にする神託を持ち帰ったら、お前を太政大臣にしてやる。でも、そうでなければ…」
道鏡を天皇にすれば太政大臣。太政大臣とは、当時、中央政府の最上位の位。最有力貴族の藤原氏が独占してきた地位です。地方豪族の出の清麻呂が就ける地位ではありません。
一方、そうではない場合、待っているのは死。
この時の清麻呂の想いはどういうものだったのでしょう?細かないきさつは、道鏡事件などで調べていいただくとして、結論を言えば、
道鏡の野望をくじきます!
「我が国は初めから君臣の分が定まっている。天皇の位は必ず天皇の血筋を引く者に伝えなければならない」という神託を、称徳天皇、道鏡をはじめ、政府高官一同に報告したのです。
道教は、清麻呂に死刑を宣告。しかし、称徳天皇によって減刑され大隅国への流刑になりました。
ただし、道鏡は、名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に変えさせました。この刑罰は、死刑よりもひどい刑罰だと考えています。古来、功を上げたものにこれは、周囲の者にもそう呼ばせるという屈辱的なもの。不名誉
名前は、その人にとって命です。汚れた名前を付けた上、人にもそう呼ばせる。呼ばないと罰を与えられるので呼ばないといけなかったのです。
守り通して孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を経て、天照大神にたどり着きます。
天孫降臨のとき、天照大神は瓊瓊杵尊に君主としての心得を説きました。八咫鏡を手渡し、
このことを歴代126名の天皇が、2680年間守り続けて今に至っているのです。を説きました。神武天皇僧侶が皇位に就き、権力によって国を支配するというや
戦前、和気清麻呂は偉人中の偉人の一人に数えられていました。とても偉大な存在で、清麻呂を尊敬しない日本人はいない!というほど。
なぜなら、尋常小学校の国史の教科書では、まるまる一章が清麻呂について語られるという別格の扱いだったから。
皇居のすぐ側に銅像も建てられていて、その功績を讃えられています。
では、和気清麻呂の功績とは?
清麻呂は、長く10円札の肖像にもなっていました。
昭和20年のGHQによる教育改造によって、神話を教えることを禁止されて以来、和気清麻呂は、歴史から忘れ去られてしまったのですね。
でも、和気清麻呂なかりせば、今、僕たちの日本という国は存在しなかったかもしれない、それほどの功績を残した人なのです。
権力支配による*うしはくの国になっていたかもしれないのです。
世界で唯一の*しらす国、日本の国体を守った人こそが、和気清麻呂なのです。
*うしはく国と*しらす国については、このあと
奈良時代末期〜平安時代の官僚です。平安京の建設に尽力したことで有名ですね。
平安京と言えば、「鳴くよウグイス平安遷都」そう、794年から明治天皇が東京に移られるまで、ずっと都であり続けたすごい場所。
1000年以上続いた首都は、世界史上、京都しかありません。
和気清麻呂は、その他、官僚が仕事をしやすくなるように法律の整備をしたり、と多岐にわたる秀才ぶりを発揮しています。
でも、和気清麻呂の最大の功績は、日本を護ったこと。
そして、それこそが神社に祀られている理由なのです。
では、日本を護ったとは一体どういうことなのか?
一言で言ってしまえば、道鏡という僧侶が天皇になるのを阻止したということ。
道鏡 天皇になろうとした男
道鏡は、僧侶でありながら政治の実権を持つことになった、日本史上唯一の人物。
太政大臣という最高の位につき、最終的には法王という位にまで上りつめました。
法王とは、仏教の最高指導者のことで太政大臣よりも位は上。異例中の異例の出世だったわけです。
余談
法王は、あくまで仏教における指導者のこと。最近、カソリックの最高指導者を教皇と呼ぶようになったのはこのためです。
余談終わり
さて道鏡が、このように有り得ない出世を遂げたのには理由があります。
当時の天皇は、女帝の称徳天皇。道鏡は、天皇の重い病気を治したことから、天皇の寵愛を受けることになりました。
その寵愛ぶりは深いもので、男女の関係であったことが定説になっている程。
道鏡の怒涛の快進撃の要因は、ここにある訳ですね。
さあ、太政大臣の上に立ったら次に目指すものは何か?
それが、天皇。
女帝は独身で皇子がいない。「それならば次の天皇はこのわしが…」道鏡の野望は膨らんでいきました。
宇佐八幡宮の神官に「道鏡が天皇になれば、天下は太平となるであろう」という偽の託宣を出させます。
これには、流石の女帝も慌てました。
「本当かどうか確かめてきなさい!」その命を受けたのが、和気清麻呂でした。
大分の宇佐に旅立つ前、和気清麻呂は道鏡に呼ばれます。
「わしが天皇になる託宣を持ち帰れば、お前を太政大臣にしてやる。しかし、そうでなければ…」
もう脅迫以外の何物でもありませんね。
宇佐八幡宮に到着した清麻呂。「我が国は臣下を君主としたことはない。皇位には必ず皇族をあてよ」という神託を得ます。
都に帰った清麻呂は、天皇、道鏡、高官一同に、この神託を報告します。
激怒した道鏡は、清麻呂に死刑を宣告。天皇の思し召しで減刑されて鹿児島県に流刑されます。
これが世に言う、宇佐八幡宮神託事件。
汚名を着せるの語源?
和気清麻呂には、もう一つ罰が与えられました。
それは、別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させたこと。周囲にもそう呼ばないと罰を与えるという徹底ぶり。
流刑以外のもう一つの刑罰です。
僕は、これが汚名を着せるの語源になっていると考えています。そういう説は、どこにも見当たらないのですが…
和気神社の御祭神は、護王大明神。和気清麻呂のことです。
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