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唯一、幸せになれる方法を見つけた。


中学生の時から、なんとなく死にたかった。

今までの人生、自分を知ることが全ての目的だった。自分はどんな人間なのか、何が好きで何が嫌なのか、なんで死にたいのか。
でも、わからなかった。周りの人には恵まれているし、運だってかなりいい方だと思う。全てひっくるめて自分のことはだいすきだし。
大学生の時に「双極性障害2型」と診断されたけど、それはただの病名に過ぎないと思っている。治ったのか治ってないのかもわからない。
でも、これをやり過ぎたら鬱入るとか、ずっとこの天気だとやばいとか大体のことを把握して、気分の浮き沈みの幅をコントロールできるようになった。所謂、普通の人間より気分の浮き沈みもあるし、感情がコントロールできなくて過呼吸になることも日常茶飯事なので、完治はしてないと思う。というより、躁鬱ではない自分を体験したことがないからわからない。気づいたらコレでしたので・・・。

だからよく、なんで鬱なの?何が嫌なの?過去にトラウマとかあるの?と聞かれることが多々あるけど、理由はわからないとしか言えない。(精神疾患の人にこれはあんまり聞かない方がいいと思うが。)
精神疾患の原因が外部的な要因の場合は精神疾患ではない人に理解されやすいと思う。よく挙げられることで、仕事のストレス、パワハラ、DV、いじめ、失恋などなど。これって誰も経験しうるしし、想像もされやすい。

でも、この精神において、全てがこうだからこう!って説明できるものだけじゃなくないですか?これも鬱視点かもだけど。楽しいのに帰りたいとか、大勢といるのに一人だと思うとか、なんかそんな感じです。

鬱に入るのはキツい。もう二度と鬱転したくないと毎回思う。でも、鬱じゃなかったら、私は私なのか?とも思う。
今までの人生を振り返ったときに、何かに成功したら、全部わかってくれる人が現れたら、場所を変えたら、お金をたくさん稼いだら、もしかしたら死ぬたくなくなるかも!が全て自分の行動力の原動だと思う。

死にたい日もあるし絶対に死にたくない日もある、けど、自分自身と別れられる方法って死ぬしかないってことに気づいた。
いつまで自分の「気分」に振り回されて生きなきゃいけないのか、将来を考えると「わからない」ことの不安より、このまま自分自身と付き合っていくのがしんどいと思っている。

頭の中ではずっと、私が永遠に話し続けていて、疲れる。私を私が許さない、見張っている。思考がとめどなく流れている、もうその思考を拾い上げることはしない。

家族、友達、恋人、自分、そこまで知らない人のこともだいすきだし、そもそも死ぬのは超ダサいとわかっているのでそんなことはしないし、唯一幸せになる方法を知っているので安心してほしい。


唯一、幸せになる方法は、「誤魔化し続けること」だ。


何かに夢中になって気を逸らし続けること、それは仕事、恋愛、趣味なんでもいい。やりたくないことでもいいと思う。「何か」に集中して気を逸らす。それが嫌なこと、外からのストレスでもよかった。

私たちは理由を求めてしまう。上記で鬱の要因について聞いてくる人について述べたが、それってまあ、普通のことだとも思う。ビジネスでも生活でも理由や目的、原因があること、は心地いい。だってそれさえ解決されれば、良いって勘違いできるから。わからないことは怖いしけど、分かりそうなことはちょっと面白いしね。

忘却って最高だ。暇ってやばい。

いわゆる、うつ状態の方が世界を正しく見え過ぎていると思う。どう考えても、絶望しかないこの世の中や自分自身を客観視してはいけない。バランスは大事だが、自分の声から逃げていいと思う。

忘却こそが幸せの本質なのではないか。

それでも、落ちる時はあるがうつ状態をメタ認知し、所謂風邪とか生理期間みたいない「そういう期間」として捉えて、鬱入ってるから仕方ない。みたいに切り離して考える。感情を無視し続ける。

そうやって時間が過ぎて、死ぬことについて考えるのも疲れる歳になれれば、生き延びられる。逃げ切り成功だ。


やっぱり、生きることに私はずっと執着しているし、生きている自分が好きだから、本当は生き切りたいと思う。でも死にたいとも思う。
頭がおかしい私には、もう気を逸らして、逃げ切るしか方法がない。それ実行するだけの人生だ。目標は生存のみ。


みなさま、絶対に生き延びましょう。



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