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とある歪な人間の自伝 その3

05 恵まれることを認めない世界

転機の前に、少し話を変えよう。
モトクロスという競技がある。オフロード、舗装されていないアップダウンの激しいコースをバイクで駆け抜ける競技だ。
それを自転車に置き換えた競技が「Bicyele Motocross」、現代でいうところのBMXという競技となった。
子供のころ、地方番組ではこの自転車競技を紹介する番組があってな、たまたま興味深く見ていたんだ。

その姿を偶然にも母方の祖父(本家の方ではない)が見ていたのだろう。
8歳の誕生日にモトクロス用の自転車をわたしにプレゼントしてくれた。
真っ黒で、分厚いタイヤの自転車だ。当時の価値からしても決して安いものではない。祖父が孫の為にと大見得を切って買ってくれたんだろうことは明らかだった。
わたしはその自転車を一目見て、それがとてもカッコいいと思ったし、こんな自転車を持っている子供なんて何処にもいなかったから単純にさ、とても誇らしかったんだ。そしてこれが自分のものになるなんて本当に、本当に信じられなかったんだ。
妹のことを気にしない。そして、誰の共用物でもない。この条件が重なる持ち物は、本当にごくわずかで珍しい。しいて言えば、ザンボット3という見たこともないアニメのお茶碗だったり、CMでしか見たことのないヒーローの人形だったり。それらはわたしの興味とはかけ離れたところで偶然的に与えられた物ばかりだ。
だから自分の興味と合致して、自分がカッコいいと思うものというのはとても希少で、わたしはすぐに乗り回して、何処へでも駆けたんだよ。
その自転車なら、何処でも行けるような気がしたんだ。

しかしその自転車に乗れたのは1週間もなかった。
ある日の晩にその自転車は、突如として消えてしまい、何故かわたしが失くしてきたこととされた。
そんなはずはない。盗まれたんだ。玄関の前に置いてあったものをいったいどうやって失くせるというのか。そう叫んでも誰も信じてくれない。両親も、妹も、そして他人も、誰一人信じてくれない。
わたしは大いに泣いた。無論、本当に味方がいないことに絶望したということもそうだし、お気に入りの自転車、自分だけの宝物を持つことも許されないこの事実にただただ絶望したんだ。

それから数日後。
それを発見したのはかつて自分が落とされた崖の下だ。既にフレームは曲がっており、タイヤも引き裂かれて、とても無残な姿だった。わたしが犬の散歩中にそれを発見し、何とか引き上げで家に持ち帰ると両親はこういった。

「盗まれたなんて嘘をついて、自分で壊したんじゃないか!」

わかっていた。もう何を言ってもわたしの言葉は届かない。
分不相応という言葉なんて当時知りもしなかったけど、つまりそういうことなんだと理解した。
その反面、妹には甘い顔を見せる両親。妹のおねだりは大抵叶えられ、わたしは「長男だから我慢しなさい」と繰り返し、繰り返し厳命された。
だからだろう。何かあれば自己責任だったし、都合が悪いことがあれば全部わたしの所為。

そもそも食べ物も、服も、学校の用具も、後々全部妹が使うと考えて、好みも妹に合わせて。
わたしはそこに無くて、自分の色すらそこに無くて、主張なんてものは最初から求められてなくて。

これ以上、何を我慢すればいいのか。どれだけを自分以外の誰かに尽くせばいいのか。
わたしと妹の差はいったい何なのか? 妹がいなくなれば、世界は変わるんじゃないだろうか?
本気でそんなことを考えてしまうようになっていたんだ。ロクでもないお兄ちゃんだったと思う。でも、おそらくだけど既に限界値は振り切れていて、誰にも相談できず、はけ口もない。わたしのものはなく、わたしの周りにはわたし以外のものばかり。

それでも。それでも、たった一つ。
仮に唯一あるのだとしたら、壊された自転車だけだった。

それもわたしが壊したものではない。
わたしが『壊すことも許されなかった』わたしの自転車だけだった。

もうとっくに壊れていたわたしの感情がさらに壊れた瞬間だ。
そこからわたしの奇行が始まる。

何かあればわたしの自転車を金づちで殴り続ける。それも数回ではない。数時間、延々と殴り続ける。フレームはさらに凸凹になり、原型なんて既に留めていない。それでも殴り続けた。
それでもこれは自分のものだと確証が欲しかったのかもしれない。自分以外が壊したことに憤りを覚えていたのかもしれない。
あるいは自転車に自分の姿を投影していただけなのかもしれない。はたまたそれら全部が理由だったのかもしれない。
全部壊れてしまえと、ただただ金づちを振り下ろし続けた。

流石に近所迷惑が過ぎたのか、両親はそれすらもわたしから取り上げ、捨ててしまった。
これには放心したね。ただただ、もう感情なんて何処にもなくて、拠り所だったわたしだけのものが無くなってしまってさ。

それでも近所の有象無象はこう言うんだ。
「何も与えない親も悪い。」「どうしたらあんな子供に育つのか。」「何か持たせたら危険だ。」「誰かを殺しに行きかねない。」
わたしに聞こえるようにそんな言葉を投げつける。おかしいだろう? 10歳にも満たない子供に、浴びせるのは罵倒ばかりさ。

だから「ああ、そういうのも悪くないのかな。でもどうしたらみんな、おんなじになってくれるのかな?」そんなことをまじまじ考えてしまうんだ。
人は平等なんだろう? 神様がそうわたしたちを作ったんだろう? じゃあ、なんでこうも違うんだい? なんてさ、わかってることを自問自答してしまうんだよ。 
そして、話を元に戻す。そう、転機の話だ。
ある日、そんなわたしの絶望の最中といって差支えない日々の中で、母親が子供を生んだ。
新しい『妹』の誕生だ。

それでも、それでもさ。どんな心理状態だろうが、妹の世話は兄の務めだ。そうだと言われ続けてきたし、雛鳥の刷り込みのようにさ、そうだと信じてきたんだ。いまさら違うなどと思うはずがない。
だから当然のようにわたしが全部やろうとした時、突然手のひらを返された時には何が何だからわからなかったんだ。突然両親はわたしからいま迄さんざん刷り込んできた常識のそれすらも取り上げる。今まで散々押し付けてきた子供の役割を、失ってきた時間だけの誇りを、責務を、従わせてきた奴らが、都合が悪くなったからと、怖くなってきたからと、わたしから取り上げたんだ。

あの全部が全部ぐちゃぐちゃになっていく感覚。脳細胞が死滅していくような感覚はなかなか体験できないだろう。
今風に言えば解雇宣告…いや、死刑宣告みたいなもんだ。そう、だってそうだろう? わたしは用済みとなったわけだから。

7歳にその状況が、理由が理解できると思うか? まあ、到底理解できないわな。
物心ついてから当たり前のようにやってきたことを、当たり前だった日常を、言ってしまえば新しくできると思われた『唯一の拠り所』を、与えられない。
心理的ショックは、本当に尋常ではない。
この後の凄惨さをほんの少しばかりでも共感してもらいたくて当時の『異変』について少し話す。

身体が完全に言うことを聞かなくなったのが最初だ。
寝れば尿を垂れ流し、家族と食事を食えば全部嘔吐し、会話も勉強も何も頭に入らない。
次に思考だ。信念や、信条といったいままで確かにあったものが希薄になっていく。
それは本当に生きていると言えるのだろうか? 自分でもわからない。
自分が何なのか、本当にわからないんだ。

それでも最低限の生活は続けていた。というより、他の選択肢はないわけだ。
いまであれば不登校やフリースクールなんて制度などが勧められたりするんだろう? あるいは保健室登校とかね。要するに学校内に問題があって、それが理由で登校が出来ない児童の為に拓かれた子供を保護するシステム。しかし三十年前の当時はそのようなものはない。
簡単に言えばさ、横並びが出来ない子供は異常という先入観の元、学校を通学させることが最低限のサイクルと大人たちは決めつけたんだ。

ランドセルを投げつけられ、服を投げつけられ。
多分どうでもよかったから裸で外を出歩き、それを見た母親や父親がぶん殴って止めるような毎日。
常識から外れれば叩いて直せ。はてさて、お前の子供は鉄か何かか? そんなんでまっすぐになるなら苦労はしないと思うんだが、まあ、わからないよな。きっと両親もどうしたらいいのかわからないのさ。きっとこう思ってたと思うぜ?

「どうして自分の子供だけ、こんな変なふうになっちゃったんだろう」ってな。

それはきっと親に限ったことではない。現に学校の場面でも同様のことが起きる。
要するに担任の教師さまだ。例えば、どうして宿題をしないのか? と問われればわたしはこう答える。
「時間がない」だ。すぐに三者面談の用意がされるわけだが、両親たちも「そんな暇はない」と答えるものだから荒れる荒れる。

いったいどんな子供なのか、客観的に見れば実に興味深いこと請け合いだ。ただ教師にとってはおそらく先入観があったんだろう。遊びに夢中過ぎて時間がない的な、妄想の類だ。だから「時間がない」は子供の言い訳として処理するわけだ。
「放任主義も結構だけど、家庭で勉強をさせてください。それが親の責務でしょ!」そんな風に言いたかったに違いない。
もっともそれはとても的外れで、少し前であれば物理的な時間のなさが主な理由だった。そしてこの時はそもそも自分のために何かする時間が自分の中に存在しなかった。

理由なんて、わたしの中に存在しないんだよ。
でもそれを誰が理解できる? 誰がその話を聞く? だれも、聞かないだろうさ。所詮は子供のたわ言なんだから。

その次の教師はある日こう言っていた。
「ナマケモノ、お前みたいな奴をナマケモノって言うんだ! 何か言い返してみなさい! なにも出来ないんでしょ!! じゃあナマケモノみたいに過ごしてなさい!! ほら、早くやりなさい!!」とまあ、甲高い声で。ご想像の通り、ヒステリックに叫ぶ中年の女教師だ。
「あんたのせいでみんな帰れないのよ!」なんてあまりにもキーキー喚くものだから、とても耳が痛かったことを覚えている。
そして飽きもせず昼過ぎから夜までだからだいたい三時間ぐらい、ずっと同じことを叫んでいたんだ。
教育熱心なのか、それともエンドレステープなのか、あるいは心の病気でもお持ちなのか。教室の生徒全員まとめて一向に帰らせてくれないモノだから、罵声が、批難が一斉にわたしにめがけて飛んできた。退路を塞がれ、行動を封じられ、一方的な価値観を押し付けられ、それに準じた動作をしろと強制を受ける。
多分そのとき初めてだ。
わかりやすい暴力を奮ったんだ。具体的には思いっきり椅子を振り回してその女教師を殴りつけていた。

いわゆるキレた状態。

これがかなりの問題となったことは、想像に難しくないだろう。
わたしが初めて、わかりやすく反抗した最初の行動だったというのもある。その女教師にしてみれば本当に訳が分からなかっただろうと思うよ。ただのデクノボウだと思って煽り立てていたわけだから。

そしてどうしてそうなったのか、正直わたし自身でもわからないんだから。ただ、あまりにもしつこくて、あまりにも訳が分からないことをいつまでもいつまでも言い続けるものだから、気が付いたら『今までやられたことをやってやろう』という意識になったんだ。

そこからは不思議と身体に力が宿ったような錯覚が背中を後押しする。
まともに動かなかったポンコツの身体がようやく動き始めたと思い込むだけの錯覚に喜んで次々と物を壊すようになっていた。
そしてようやくタガが外れたんだろうか。初めて人を傷つけてから倫理は急降下。他人を殴ることに対しての抵抗感が無くなる。だから人と会えばいきなり殴りかかるようになったし、平然とやり返すようになった。

そんなことを繰り返していれば、いつか殺人事件でも犯していたんだろうか。止めに入る人間がいなければ、少年犯罪の一つになっていたんだろうか? 
それはわからないが、結果としてわたしの奇行はそうならない。ならなかった。もう一つの奇行で立ち止まった。止められてしまった。

ありていに言えば中学生や高校生の不良グループがわたしをリンチにかけ始めたのだ。
おそらくわたしに弟か妹が傷つけられたのだろう。正直因縁なんてものは後だしジャンケンみたいなもの。わたしには与り知らない話である。だが、いい年した兄ちゃんたちが集団で寄ってたかって8歳の小学生、そのたった一人を私刑するわけだ。

…普通ならどう考えても殺されてるだろう? ここがわたしの中の最大の謎だ。

不良たちがこぞって角材や単車を振り回し、容赦なく子供に振り下ろすのだから当然死ぬはずだった。だけど散々殴られてきたわたしが、既に壊れているわたしは何故か死ぬこともなくて…。本当に、なんで生きているのか不思議なぐらい丈夫な身体だったから、約半年間、そして複数回に渡るリンチでも軽症で生き延びてしまう。

骨の一つでも折れてくれれば多少変わったのだろうか? たらればの話ですら本当に未知数だ。この件については現在でも謎のままで終わっている。
単純に身体だけは物理的に丈夫だった、としか言いようがない。ちなみにこのグループは後に同じくリンチをして同年代の少年を殺害している。もちろん少年院で3年間過ごすこととなったことも伝えておく。

前項で述べた転機とはまた別の転機が始まる。いわばターニングポイントになる。
ようやく父親が重い腰を上げて引っ越しを決意する。多額の借金をそのままに何とか金銭を工面できたのだろう。
もうとっくに近隣の関係性は修繕不可能。わたしがこんな状態だから母親も精神的に参ってしまい他の男に慰められている。真ん中の妹は必死に父親にしがみついて、わたしを恐怖の対象として、敵としてみている。そして下の妹は、言葉らしい言葉をまだ話せない。そして音にも反応しない。

あからさまな異常を、わたしがいるから見抜けない。
わたし以上の異常を、下の妹はまだ見せていないから。
これがまた大きな波紋となることに気づけないまま、わたしの家庭は逃げるようにその土地を後にした。

その後の風に聞く噂では、一度わたしという存在を迫害していたという日常から脱却できなかったその集落は、1家庭の自殺者を排出する。
そして少年犯罪により1名が殺害されたとその後に地方新聞で知ることとなる。もっともこの話は当時のテレビでは報じられていない。いま調べるとすれば、図書館のライブラリーのみである。

最初の1人は学校行事の修学旅行。
わたしの代わりにカカシを務めていたであろう少年が、宿泊するホテルの窓から飛び降り自殺を行なった。
天然パーマの、内向的な少年である。そしてこれも地方ニュースとしてしか取り上げられず、関係者によって隠蔽されたようだ。それに伴い、その親族が後追い自殺するという顛末となった。
もう1人は、クオーターの少年。先ほど話した不良グループの被害者となった。
その話を聞いた時、わたしの記憶はすっかり抜け落ちてしまい、それを取り戻したのはさらに歳月を必要としたことをここで告げておく。
ただ、後になってその子はわたしのもう一つの可能性だったと他人事ながら思ったりしていた。

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