住まうことに満足できると毎日が楽しくなりストレス無しで心豊かに暮らせるという話。
あなたも、衣・食・住の大切さといことに関しては、ふだんの生活で特に意識はしていなくても、私たちの暮らしの中で重要な要素であることには同感してもらえると思うけど、今回はその衣食住の「住」について語りますね。
実を言うと、私たち夫婦はこの年齢になるまでに、合計で15カ所の住居に暮らした経験があるんですよね。
結婚生活のスタートを切った場所は杉並区荻窪の、豪華マンション・・・であるはずもなく、こちらの話ですぐわかるけど、6畳一間に狭いキッチンが付いた風呂無しの木造アパートでした。
この木造アパートが夫婦の出発地点、人生のデパーチャーラウンジだったとまぁ、そんな感じでしたけども。🤗
そこで2年暮らした後に、父の具合が芳しくないという理由で、とりあえず近くに住もうということで、若くして郷里の鹿児島に戻ったんですね。
それが人生で初の引っ越しでしたが、それから鹿児島県内で6カ所の住まいを経験し、大阪で2年暮らした後に、江戸川区西葛西の公団分譲マンションに引っ越しして、そのあと行徳・新浦安・海浜幕張と住まいを変えました。
海浜幕張でも2カ所に住んで、今度は彼女の母親が重篤な状態が続いてしまい、夜中でもすぐに駆けつけられるようにと、福岡のマンションに引っ越ししたんですね。
福岡だと飛行場も街中にあって、新幹線の便もあるので東京へも鹿児島へも便利が良いというのもあったんですが、何より彼女と一番仲の良い実の姉が住んでいたことが転居を決めた理由でした。
そうやって指を折って数えてみると、最初の新婚生活を始めた荻窪のアパートを起点にして、14回の引っ越しを経験して現在の生まれ故郷に戻ってきたわけですが、今の住居は行徳時代に建築した戸建てなんですよね。
行徳に住んでいる頃に実家の近辺が区画整理になって、家ごと移らないといけなくなったんですが、それに合わせて私たちが父親の家を新築することにしたのですが、この間取り設計やインテリア決めが楽しかったですね。
結局父親のためといいつつ、自分たちのセンスと好みでこだわり尽くして施行したわけで、こうやって住んでみて振りかえると、やっぱりこの家は自分たちのために建てたようなもんだったなぁって、そう語り合っています。
家を建てたのはこの1軒だけですが、マンションの新築物件や中古物件をリフォームしたのは4回あるので、リフォームにも詳しいのですよ。(^_^)b
これに加えて都内に借りていたマンションも3回引っ越しているし、事務所の引っ越しも4回やってるし、これまで20回以上の引っ越しを経験してきた引っ越しのプロ・・・と言ってもいいくらい、引っ越し経験豊富なのです。
さて、そう自慢しても良いくらいの、引っ越し経験と、そこで暮らした住居の数になるわけですが、タイトルにも書いたように住まうことに満足できると毎日が楽しくなるんですよね。
毎日が楽しいとストレスも無くなるし余裕も出てくるので、心を豊かにして暮らすことができると、実感しているんですよ。
これまでに暮らした生活の中でも、もっとも優先していたことというのが住環境であり、住む街の環境と自分たちの住居に対してのこだわりだったんですよね。
どんな街でどんな住居で、どのような暮らし方をしたいか、いつも真っ先に考えるのはそこでした。
夫婦で話し合いながら意見をすり合わせていくわけですが、20代で初めて分譲マンションを購入した時から真剣に話し合い始めたので、30代後半になった頃には細かい点の摺り合わせだけで、問題ないようになっていました。
50代の頃になると、何も言わなくても通じ合えるので、まず仮に話し合いができなかったとしても、片方だけの意見で進めても問題なく了解し合えるような共通認識だったと思います。
私たちはマンション生活が長く、60代になって初めての一戸建て暮らしを始めたわけですが、長いこと借家で貸していた家は、玄関周りから生け垣まで草が伸び放題の、まるで藪の中の一軒家のようでした。(^_^;)
入居前に内装の貼り替え程度のリフォームと、トイレと上水道の吐水口金具を交換したぐらいで暮らし始めましたが、その当時はぬかるんでいた庭に土と砂利を入れて、庭造りから始めたのが今思い返しても楽しかったですね。
マンションには景観が付きものですが、一戸建てには窓の外に出ると、しっかり足を付けて踏みしめることができる、大地が付いているんですよ。
それに同じ広さでもコンクリートの柱や配管パイプといった共有スペースがない分、一戸建てのほうが実質的に広いわけですが、それ以上に窓から眺める庭までが居住空間として目に入るので、段違いの広さを感じるんですね。
こうやって住んでみてつくづく思うことは、彼女がとても元気になったなぁということなんですよ。
いつも緊張したり少しムリして身体を動かすと、体調不良を訴えてすぐに寝込んでしまうような虚弱体質のところがあったんですが、ここに帰ってきてからは庭いじりが大好きになり、草むしりを趣味と言い切るくらいです。
生活がのんびりとした田舎暮らしに馴染むにつれ、ゆっくり流れる時間の中で一緒に語り合いながら時を過ごす贅沢さも実感できるようになりました。
最近では、こういう暮らしを目指すために、若い時から一生懸命頑張っていたんだよね、って語り合うことも日課のようになっているんですが、大袈裟でも無く晴耕雨読に似た生活に軸足を移しているんですよね。(^_^)b
住めば都というけど、たしかに住んでしまえば、どこであってもそれなりに満足できると思いますが、どうせなら住んでしまう前に、住まいを探し出すことを惜しまずにやったほうが、何倍も楽しく暮らせると思います。
今は外出もままならず、窮屈な思いで自粛生活を余儀なくされている人がほとんどでしょうけど、心の持ちようを少し変えるだけでも暮らしの中に潤いが出てくるのでは、と感じています。
不自由な生活はストレスを溜めて、心をむしばんでいくかも知れないけど気持ちの持ちようで、ストレスもだいぶ発散できるのではないでしょうか。
住まうということを見つめ直してみると、案外と今の暮らしって捨てたもんじゃないかも知れませんよ、気がついていないだけで。(^_^)b
ってことで、今回は
「住まうことに満足できると毎日が楽しくなりストレス無しで心豊かに暮らせるという話。」という住まうことを見つめ直そうという話でした。
では!
住まうなら 心豊かに のほほんと
<心も大事、身体も大事、健康も大事、命はもっと大事>