友がみな偉くみえたり幸せそうだと羨むときには自信喪失で自分の軸を見失っているとき。
若い頃に聴いていた音楽に、森田公一とトップギャランというバンドの楽曲があるんだけど、そのアルバムに収められている曲の中に記憶に残る歌詞のフレーズ・・・友がみな偉くみえる日・・・というのがあったんですね。🙄
今でも時々だけど、彼女がそのアルバムのCDを聴きながら、家事の合間に口ずさんでいるのを見かけるんですが、久しぶりの晴れ間が出た日も森田公一のCDを聴いていたんですよ。😄
そのせいか、今日のお昼ご飯を食べた後にフッとそのメロディと記憶に残っている歌詞、友がみな偉くみえる日・・・というフレーズが浮かんできたものだから、そこからの連想で思ったことを書いてみようかと・・・。
誰にだって似たような経験があると思うけど、久しぶりに会う同窓会で同期の仲間の消息や、携わっている仕事や肩書きが気になって仕方がない時機って言うのがあるものなんですよね。(^_^)b
特に男性の場合は、露骨に肩書を持ち出して偉そうにしているとか、やたらと他の同級生の肩書きを聞き回っているヤツとか実在していたんですよ。😅
たまたま同じ地元の役所や会社に勤務している同級生同士に至っては、職場の上下関係をそのまま持ち込んで、わざとらしく上下関係を誇示するような物言いをするヤツまでいましたもんね。😨
還暦同窓会でもそれは同じことだったけど、久闊を叙する間もなく名刺交換を始めるや、相手にも名刺を強要したり、自分の名刺をみんなに配り回って顰蹙をかっていた輩も実在しました。😅
ただ、さすがに還暦を過ぎると定年で離職したり、仕事を持っていても再雇用などで肩書きが外れたりするせいか、そういう肩書き自慢もなりを潜めるんですよ。
そして、自分の拠るべきバックボーンを失うと、いつの間にか同窓会にも顔を出さなくなるんです、そういう人物に限ってですが。
まぁね、在職中はそういう肩書きを触れ回って「オレ、頑張ったろ?」みたいな自慢も多少は可愛げがあると思うので、そうであれば肩書きが外れたときにも「ただのぺぇぺぇに戻っちゃったよ!」って残念がって欲しいのね。
そのほうがみんなも突っ込み甲斐があって笑いのタネにもなるけど、肩書きが無くなったとたんに、同窓会などの集まりからフェードアウトしていくっていうのは、あまりにも寂しいと思うわけですよ。(^_^)b
確かに歌詞のように「友がみな偉くみえる」ことってあると思うのです。
でも、その友にしても「あなたが偉くみえている」って思うんですよ。
大事なのは友が偉くみえるという、自分の心情の視点・視座に気付くことだと思います。
友がみな偉くみえるときというのは、自分が落ち込んだり自信を失っているときなので、そう自覚したら友を羨むよりも、自分の軸を取り戻すように奮い立つ必要があるんですね。
誰だって同じなんだと、思い極めるわけです。
人が自分をどう見るかより、自分がどうあるか、どうありたいのか、どうあるべきなのかに、目を向ける必要があると思います。(^_^)b
周りの人たちが自分たちより幸せそうにみえるとき・・・そういうときは自分を見失っているときです。
幸せそのものは人それぞれであって、共通の物差しで測れるようなものじゃありません。
自分たちには自分たちなりの幸せの尺度があって、それに沿うような幸せを求めれば良いのだと思います。
自分たちにとっての幸せはどういうものか、幸福を実感できるときってどういうときかを見つめ直して、自分たちのゴールを見つければ良いと思うのですね。
比較は他人とするのではなく、昨日の自分、1年前の自分たちと比較するべきだと思います。
そうやって比較しながら、ゴールに辿り着くためのマップをその都度書き換えていけば自分の軸を見失うことも、自分たちの目指すべきところも見失うこと無く、ゴールまで無事に辿り着くことができるのじゃないかと・・・。🤗
いやぁ~~、それにしても若い頃に聴いていた曲って、今でも聴いていたときの頃を瞬時に蘇らせてくれますよね。🤩
久しぶりの晴れ間に、心も晴れたような気がします!
ってことで、今回は
「友がみな偉くみえたり幸せそうだと羨むときには自信喪失で自分の軸を見失っているとき。」という自分自身の軸を見失うな、って話でした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
友がみな 偉くみえても のほほんと
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