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コロナ渦不染日記 #78

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十二月一日(火)

 ○十二月、最初の朝は暗い。
 今朝の体温は三六・一度。

 ○ケイト・ウィルヘルム『鳥の歌いまは絶え』を読む。

 七〇年代に書かれた(ポスト)アポカリプス小説だが、その真意は、世界の崩壊を描くことではなく、人の個性と孤独に関する考察である。放射能による大気の汚染や疫病、飢餓と同時に起こる、食糧と人口の問題を引き起こす「(哺乳類の)不妊」現象に対し、山間の村を所有する一族が、クローニングで家畜と子孫を増やして対策しようとする……という物語は、だから、クローン人類たちが同じ胚から生まれたどうし、ゆるいテレパシーでつながっているという設定のための前置きでしかない。第一章は、クローン子孫たちから、彼らを生み出した科学者が排除されるまでを描いて、静かながらも恐ろしく、「個性の不要」を説く。

「有性生殖が唯一の答えではありません。なぜなら、高等な生物が有性生殖をおこなうように進化したからといって、それが最善だということにはならないからです。[中略]」
「クローニングは高等生物にとって最悪の方法だ」とデイヴィッドはゆっくり言った。「多様性が抑圧される。それはわかっているはずだ」[中略]
「多様性が有益だと仮定しているわけですね。ひょっとしたら、そうではないかもしれない」と、ウォルト1は答えた。「あなたがたは個性というものに高い代価を支払っている

――ケイト・ウィルヘルム『鳥の歌いまは絶え』より。
太字強調は引用者)

 もちろん、「クローニングが唯一の答えではない」ので、クローンたちは、クローン同士の有性生殖ももくろんでいる。しかし、そうする可能性を視野に入れつつも、なお、「個性」の引き起こす障害を少なくする方向に動きたい、と考える。この視点が突きつける、恐ろしい真実に、ぼくはぞっとする。
 それは、われわれの「個性」というものが、現代においては錦の御旗と化しているけれども、ほんとうはそうとでも考えなければ、個性という「呪い」の存在を受け入れることができないからではないか、という考えを導く。

 ○「個性」が、獲得されるものではなく、好むと好まざるとに関わらず、過程から生じてしまうものであることは、長く生きていれば、なんとなくわかってくることと思う。「個性」とは、往々にして、選んで獲得できるものではないのだ。そもそも、「個性」とは、われわれの肉体から発生している。われわれの精神の「個別性」を生み出すのは、われわれの、精神と一対になっていて、切り離せない「肉体」なのであるが、その肉体からして、選んで獲得できはしない。もし、ある肉体を前提として、それを改変することで、「個性」を獲得しようとしても、その意思すらも、生得的な、選べない肉体から発生していることになる。
 だから、「個性」は、けして喜ばしいものばかりではない。むしろ、コントロールできない、忌避すべきものであることがおおい。さらに、知性生物は、他者との間に、相互に、かつ、一方的に価値を付与しあうものであり、このコントロールできない「個性」も、価値の付与に関わってくる。自分が誇らしいと思っている部分が、他人に卑下されることがある一方で、自分の認めたくない部分を、他人がさらけ出せと言ってくる場合がある。げにも「個性」は面倒くさい。
 だから、われわれは、「個性」をよきものと思わざるを得ないのである。そうとでも思わなければ、こんな面倒くさいものを、維持し続けるための代価を支払うことのばかばかしさに、こころを奪われてしまうからである。「個性」など、持たないほうが「楽」なのである。

 ○もちろん、『不染日記』などというタイトルで、こうして日記を衆目にさらしているくらいだから、ぼくは「個性」が好きである。こんなやっかいなものを、持ち続けるために、代価を支払い続けることがおっくうなのは、百も承知である。しかし、「個性」を捨て去った果てに、他者に「染まる」ことのほうが、ぼくにはおぞましいことと感じられる。よしんば、そうすることを選んだとしても、ぼくには、自分が他者に「染まりきる」ことができないことが、もう、わかっているのである。ぼくはぼくにしかなれない。だったら、おもだるい「個性」をどれほどか、寛容[くつろげ]て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降るのである。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二〇二八人(前日比+五九二人)。
 そのうち、東京は、三七二人(前日比+六一人)。


十二月二日(水)

 ○朝、取引先の最寄り駅についたところで、ぽつぽつと雨が降り出してきた。冷たい雨である。
 今朝の体温は三五・九度。

 ○先週に引き続き、取引先に、新人を同行させる、先輩行為をしてきた。ぼくの勤めている業界が、来年度からおおきく事業拡大する方向にあるため、新人をおおく雇いいれ、育成しようと務めているからである。

 ○移動中、ずっと読んでいた、井上雅彦・編『ダーク・ロマンス 異形コレクション』を読み終えた。

 九年の休眠から目覚めた、「異形コレクション」シリーズの復活にふさわしい、気合いの入った内容であった。各作品のクオリティが高いことももちろんだが、それをコントロールする、井上雅彦氏の、アンソロジストとしての企画力が光る。
 ぼくのお気に入りは、巻頭を飾る櫛木理宇「夕鶴の里」、怪奇と伝奇の理想的なバランスをとる篠田真由美「黒い面紗[ヴェール]の」、ほのめかしに満ちて、解釈の楽しみがある一方、普遍的な問題をあつかって、伝奇的なうまみが濃い、菊地秀行「魅惑の民」。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二四三四人(前日比+四〇六人)。
 そのうち、東京は、五〇〇人(前日比+一二八人)。
 この人数とこの数字、いよいよ「第三波」は確実となった。

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十二月三日(木)

 ○昨晩から、ずっと雨が降りつづいていたようで、朝が寒く、暗い。
 今朝の体温は三六・〇度。

 ○取引先のひとつが、早くも、今年最後の訪問となった。担当者と早い師走の挨拶を交わす。

 ○退勤後、どうぶつマッサージでもまれる。「腰、首、肩、ぜんぶヤバいですね」とは、マッサージ担当者の言である。理由を問えば、「寒さ、あとは、ストレスでしょうね」とのこと。先週と今週、そして来週も予定されている、新人同行が、気にしていないようで、はやり気になっているのだろうか。

 ○夜。さいのすさんししジニーさんゆんぺすさん獄長さんと、『Among Us』で遊ぶ。

 緊急メンテナンスが必要な、宇宙船や宇宙ステーションを舞台に、『汝は人狼なりや?』を遊ぶ、オンラインゲームである。プレイヤーは、今いる環境を整備するCrewになるが、なかにはひとり以上、Imposter(なりすまし)がいて、これが機器にさらなる不具合をあたえたり、Crewを殺害したりするのである。
 いわゆる「人狼系」ゲームであるが、協議と投票で犯人を捜し出そうとするディスカッションパートとは別に、ステージ内を移動し、タスクをこなし、あるいは他人の目のないところでCrewを殺害する、アクションパートがあるところに、特徴がある。このアクションパートが、単純化された画面にさまざまなしかけが用意されていて、飽きさせないつくりになっているところがすばらしい。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二五一八人(前日比+八四人)。
 そのうち、東京は、五三三人(前日比+三三人)。


十二月四日(金)

 ○今朝の体温は三六・二度。

 ○在宅勤務の日。
 朝からぶっつづけて十時間ほど働いてしまった。

 ○昼食は、相棒の下品ラビットが作ってくれた、塩焼きそばを食べた。

 ○夜。『トワイライト・ゾーン』(2019)を見る。

 第一話「コメディアン」が面白かったので、続けてみていたが、第二話「高度三万フィートの恐怖」は、タイトルで、オリジナルシリーズの傑作エピソード「高度二万フィートの恐怖」に、オマージュを捧げつつ、そこからさらに飛躍した物語を展開しており、素晴らしいアレンジである。
 オリジナルシリーズで、ロッド・サーリングが務めたナビゲーター役を、このリブートシリーズでは、『ゲット・アウト』や『アス』のジョーさん・ピール監督が務めている。「コメディアン」は、人種にかかわらない、差別の構図を描いて、社会派意識の高い作品であったが、そういうところだけでなく、第二話のアレンジの妙もまた、ジョーダン・ピール監督を起用した制作チームならではのものと思われる。

 ○翻訳ペンギン『翻訳編吟 ~翻訳はおもしろい 4』より、M・P・デア「非聖遺物」を読む。

 イギリスの在野の学者が、十字軍に関するある発見をして、その実際を確かめるべく、フランスへ飛んだが、ある教会の地下にある、キリスト教の聖遺物を納める納骨堂に閉じ込められてしまい、一晩を過ごすはめになり、そこでおそろしい目に遭う、というお話である。キリスト教の聖人に関する知識が乏しいせいか、ぼくにはお話の大オチがよくわからなかったが、「文学フリマ」でこの本を受けとったとき、翻訳ペンギンさんが語っていた、作者「M・P・デア」の死にまつわるエピソードを思うと、主人公が、イギリスからフランスへと持ち去られら、イギリスの聖人の遺骨を本国に持ち帰るべく、納骨堂から盗み出そうと考える、その心理描写に面白さを感じた。
 M・P・デアは、

窃盗や詐欺で何度か投獄され、1962年、勤務していた書店での窃盗が明るみに出ると青酸カリで自殺した。

――翻訳ペンギン『翻訳編吟 ~翻訳はおもしろい 4』より。
太字強調は引用者)

 のだというのである。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二四四五人(前日比-七三人)。
 そのうち、東京は、四四九人(前日比-八四人)。
 前日比こそ減じているものの、全国で、一日に二千人以上の新規感染者が出るという事態は、やはり、おそろしいことである。これでは、医療現場の逼迫は時間の問題である。いまですら、青息吐息の病院や、救急医療センターもあろう。
 しかし、この事態に対して、政府や各都道府県の自治体が、有効な手立てを講じているかというと、そのようには思われない。自粛などという、一般市民への責任転嫁をおしつけることにしかならないやり方をとる暇があったら、二度目の緊急事態宣言を発出し、感染拡大防止を確実なものにする必要がある。
 だが、そうはすまい。冬になり、寒さで疲れた生き物の免疫力が落ちてくる時期に、乾燥によってウィルスの飛散が増し、感染が拡大することなど、予測できなかったはずはないのに、この時期にむけた準備をせず、「Go To トラベル」キャンペーンによって経済が回復することのみに気をとられていた節のある、お偉がたなのである。「五つの小」だの「マスク会食」だのといった、ことばだけで実態を持たず、したがって効力もほとんどない「おためごかし」に戯れるのが、関の山なのではないか。
 もちろん、感染防止に努めるにやぶさかではないが、しかし、それはお偉がたの言うことを信じたからではない。ぼくたちの、そしてぼくたちが大切と思うものたちのためである

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→「#79 感覚は欺かない」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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