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コロナ渦不染日記 #39

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八月八日(土)

 ○今日から夏期休暇なので、すっかり寝坊している。

 ○午前中、日記を編集していると、イナバさんから連絡がある。今日が夏期休暇直前、最後の出勤日であるので、終わったら飲みに行かないかとのこと。断る理由はない。
 昼過ぎに東京駅で落ち合い、構内の「東京ギョーザスタンド ウーロン」へ行く。

 席はワンドリンク制。クラフトビールを中心に、なん種類かのビールと、ハイボールやレモンサワーなどからを選べる。ぼくはIPAを頼んだが、このほどよい苦みが餃子の脂とよくあう。

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 餃子の皮はかなり厚め、もちもちした食感で餡をしっかりくるんでいるので、噛めばあつあつの肉汁がしみ出してくる。いわゆる焼き餃子よりは、小籠包に近いイメージ。下味はしっかりめなので、そなえつけの醤油の容器は、醤油差しではなくスプレー状になっている。
 他にパクチー水餃子、ポテサラなどをつついて、シメはまぜそば。マーラーと山椒の効いたひき肉を、ネギ、味付け卵黄、カシューナッツと一緒に、太めの麺にからめて食べる。かなりのボリュームがあり、これと餃子でランチメニューになっているのもうなずける。

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○冴木忍『旅立ちは突然に』を読む。

 今年の夏期休暇は九日あり、九日でなにか、自分だけの「夏休みの宿題」ができないかと考えたものである。そこで思いついたのは、なつかしの「〈卵王子〉カイルロッドの苦難」シリーズ、全九巻を、完走することだった。

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 この第一巻の刊行は、一九九二年七月、つまり、いまから二十八年前のことである。当然、こんにちに言われる「ライトノベル」の呼称も概念もない。だから、この頃の作品は、いまのそれらと比較すると、少しく様子の異なるものばかりである。なかでも、冴木忍氏の作品は、やわらかい平易な文体で、地に足の着いた人物描写をおこなうとともに、「限界」や「諦観」や「無力」を描く点が、他と異なる点であった。特に、この「〈卵王子〉カイルロッドの苦難」シリーズは、冴木氏の初の長編シリーズであったこともあり、これまで以上に、単純なカタルシスを廃していた。
 作中、主人公のカイルロッドは、いわゆる「正しさ」の点で無力である。清く正しく生きていくには、そうするための強さが不足しているのだ。かといって、その強さが手に入る保証は、物語の世界のなかにも、物語のメタ的な構造としても、どこにもなかった。カイルロッドは、無明の闇を、手探りで進むしかなかった。このカイルロッドの不安を、冴木氏は、やわらかい平易な文体で、生のまま放り出したように描いた。それがかえって「未来の手触り」を感じさせたのである。
 当時、人間の学校に通っていたぼくは、どこかその場になじめないところがあった。運動はからっきし、勉強はできなくはないが、それがなにになるのかわからなかった。できることだけやっていたかったが、それをしているうちに、どうやらそれだけではうまくいかないだろうことが、なんとなく察せられてきた。人生は、どうやらみんなが言うほど、しっかりしたものではないのではないか。人間は(いわんや動物をや)、人生の岐路に立たされたとき、行き先を選べる準備が、必ずしも整っているものではないのではないか。人生とは、準備が整っていなくても、なんとかしなくてはならないし、準備が整っていなくて、どうにもならないことの方が多いのではないか。もちろん、準備ができていれば、どうにかすることもできるだろう。しかし、そのためには、できることだけをやっていてはいけないのではないか。そんなことを考えている時期に、この本と出会い、その推察が裏づけられるような気持ちになったのである。
 あれから二十八年が経った。いまのぼくは、主人公カイルロッドよりも、彼を見守る人物である、謎の剣士「イルダーナフ」に近い年齢になった。作中、カイルロッドが「いままさに苦難のなかにいる」人物として、若い読者に「未来の手触り」を感じさせるものだとすれば、イルダーナフは「かつて苦難のなかにいた」人物として、カイルロッドのなかにかつての自分を見るものである。これまでなん度か読み返したが、彼に近い視点で読んだことはなかった。であれば、いまこそそうしてみてもいいだろう。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、四百二十九人。

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八月九日(日)

 ○朝からまことに暑苦しい一日。一気に夏がやってきた感がある。

 ○冴木忍『出会いは嵐の予感』を読む。

 荒野に封じた妖魔の力で栄える街が、甦った妖魔によって崩壊する前半部のカタストロフは、因果応報といえなくもなく、ここまでであれば、よくある話である。しかし、街の権力者で、荒野に妖魔を封じた魔道士の末裔の姉妹が、暴徒に追われて街を脱出しなければならなくなる後半部から、彼らの悲劇的な結末まで、たっぷり紙幅を費やして語るクライマックスは、人の世の不条理と、その不条理になす術なく翻弄される、主人公をふくめた「限りある」人間のちっぽけさを描いて、ここまでの作品はそうあるまい。

 ○夕方ぐらいから、友人宅に招かれて飲む。高校時代の友人で、人間のゲンは、大学時代の友人と結婚しており、彼女ともぼくは友人なので、いつも変わらぬ調子の飲み会となった。結果、Lの手料理をごちそうになりながら、日が変わるまで、七時間ほど飲み続けることとなった。

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 昨日はお店の餃子を食べたが、今日は手作りの餃子である。皮はパリッと焼きあがり、なかの餡はシイタケをメインにひき肉とキャベツを混ぜたもの、毛色が違ってそれぞれにうまい。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、三百三十一人。


八月十日(月)

 ○朝から車を借りて、一般道を西へ向かう。目的地は箱根である。助手席にはイナバさん、後部座席には相棒の下品ラビットが乗っている。車中には『ゾンビランドサガ フランシュシュ The Best』が流れる。


 ○帰省のためか、渋滞につかまって、最初の目的地である「風祭」についたのは正午すぎであった。車を降りると、歩道の輻射熱が全身を包む。高温多湿の蒸し暑い空気は、まさしく夏のそれである。

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 ここは、夢枕獏「キマイラ・吼[KOU]」シリーズの舞台である。主人公の鳳吼[おおとり・こう]や九鬼麗一、九十九三蔵らが通う高校がこの近くにあり、写真奥の山のいずこかに、真壁雲斎の庵「円空山」がある。……つまり、いわゆる「聖地巡礼」である。


 ○「このへんを鳳吼が織部深雪と下校したのかなあ」などと考えながらうろうろしていると、下品ラビットが「腹減ったから店行こうぜ」と言い出すので、昼食をとるべく、「えれんなごっそ」にむかった。

 ここのウリは、老舗のかまぼこ屋「鈴廣」のかまぼこを中心に、小田原地産の食材を使った料理が楽しめる、ランチバイキングである。かまぼこが名産であるということは、相模湾のおかげで、海の幸に恵まれているということでもあるので、その日のスペシャルメニューであった「ホタテのカルパッチョ」をはじめ、魚介の料理も多く、味つけも多様。バイキングなのでおかわりも自由とくれば、朝食を軽めにしてきたこともあり、腹いっぱい食べてしまった。

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 ○店を出て、「鈴廣」の本店で買い物を済ませると、汗を拭きながら車に乗り込み、今度は大涌谷へむかった。

 箱根の山は火山であり、その中央火口に近いのが大涌谷だ。火山の噴火によって地滑りが起き、それでできた谷である。致死性のガスが噴き出すことで知られており、二〇一〇年代なかばには、十数年ぶりの蒸気噴出によって立ち入り禁止になったこともある。
 風祭から、中腹の小涌谷までは、一時間ていどでたどりつく。ユーロビートをかけながら、つづら折りの山道を行くのは、山梨のキャンプ場にむかったときとおなじで、楽しい。だが、小涌谷を超えてからが長かった。夏休み、最初の三連休ということもあり、おなじようなことを考えている車が多い。自然、大涌谷へ続く道は混んでくる。ゆっくりと蝸牛の歩みで車を進めると、次第に空が曇ってくる。 

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「いや、これはガスだぜ」と下品ラビット。「おれたちはいま、雲のなかにいるんだろうな」
 運転席側の窓から、道の端を見れば、車道のそばの草むらがやたらと揺れて、吹き下ろす風の強いことをうかがわせる。と、曇った空から、雲の切れ端が、まるで触手のようにうねりながら下りてきて、林のあいだの道に列をなす車を撫でたり、包み込んだりしていく。まるで映画『ミスト』のような、怪奇者の血が騒ぐ景色である。

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 ○ようやく大涌谷に着くころには、空は厚い雲に覆われ、地面は霧に巻かれていた。駐車場で車を降りると、しめった、なま暖かい空気がまとわりついてくる。周囲は白い闇に覆われて、この世の終わりのような景色である。昔の人が、山は異界であり、霊界であると考えたのも、むべなるかな。

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 当然、火口へ滑り落ちる谷も、ガスっていてなにも見えない。いましも、怪物がぬっと姿を現しそうな、「次の瞬間にはどうなっているかわからない」未明の景色である。小松左京の傑作恐怖短編「霧が晴れたら」を思わせる、不安を催す光景だった。

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 目当ての火口が見えないのであれば、長くとどまることもない。大涌谷名物の「くろたまご」をぱくつきながら、下界へと戻る道を進んだ。


 ○その後は、御殿場のアウトレットモールでスマートフォンケースを買ったり、〈SHAKE SHACK〉で夕食をとったりしながら、ゆっくりと帰途についた。


 ○帰宅後、冴木忍『愁いは花園の中に』を読む。

 カイルロッドの「血筋」の謎の一端が明らかになりながら、彼の「血」を狙う妖魔、故郷を石にした魔道士、そして彼の「血」を危険視する教団の監視役が登場しながら、前半のクライマックスというべき、カイルロッドが「自分の手を血で汚す」という一大イベントが起きることで、この物語のテーマである「大きな力を持ちながら、故郷を救うことも、苦しんでいる人を救うことも、愛するものを救うこともできず、そうしようとすることで、ただ己の無力をつきつけられるばかりの自分を、いま、すぐに変えることができない無力。それを噛み締めることの苦さ、難しさ」が際立つ一冊である。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、百九十七人。これはもちろん、新型コロナウィルス新規感染者が減少したのではなく、夏休みに入り、検査件数が減ったためである。

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→「#40 夏休み中盤」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/





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