コロナ渦不染日記 #34
七月二十日(月)
○朝から右後足の付け根、股関節のところがピキピキと痛い。理由は不明。
○仕事がいい具合に進行したのでほっとする。後半はほとんど口八丁手八丁であった。経験が浅いからしょうがないが、まだまだ手数が少なすぎる。
○駅前のマッサージ店で、股関節の痛みを訴えると、知らず右後足に体重をかけてしまっているのではないかと言われる。とりあえずいつものメニューに、股関節のこりをほぐす行程も入れてもらう。ピキピキと痛い。
○マンガ原作者・星野茂樹氏があたためていたプロジェクトが、ついに始動したとの報を聞く。
ぼくが星野茂樹氏を知ったのは、代表作であり長寿作である『解体屋ゲン』ではなく、オガツカヅオ氏とのタッグで発表した大傑作『ことなかれ』である。
オガツカヅオ氏の、絵であるがゆえに持っている説得力を駆使して、絵で具体的に見せられていると思い込ませておいて、ある瞬間にさっと「見え方」を変えてくる、錯視的な語り口は、傑作『りんたとさじ』で知っていた。そして、そのファンになったからこそ『ことなかれ』を読んだのだが、ここで星野茂樹氏は、前述のオガツカヅオ氏の特性を活かしながら、それをさらに補強し、発展させる方向の物語を執筆しておられた。つまり、物語にも、錯視的な展開を持ち込んで、絵の錯視がもたらす失見当識的なホラーに、解決が情動にいたるミステリを融合させたのだ。
この技巧に舌を巻き、どんな人物なのかと検索して、あの『解体屋ゲン』の原作者としれば、SNSやnoteでフォローしようとするのが現代である。当然ぼくもそうした。そして、以下のような記事を見つけてしまえば、もう好きにならざるを得ない。
居場所なんてどこにもないのだ。幸せだとか不幸とかの話ではない。置かれている環境や貯金残高、仕事の成功や失敗、そんなこと一切関係なく、居場所なんてどこにもないではないか。
——星野茂樹「居場所」より。
(太字強調は引用者)
小学生になると次第に祖母と墓参りには行かなくなり、私が墓参りの秘密をうっかり両親の前で口をすべらせて、祖母は父にこっぴどく叱られてしょげていた。祖母の子どもたちは父を含めて4人全員が学校の教員になっていたし、もはや貧乏でもなかった。その頃から霊は姿を見せなくなった。
——星野茂樹「祖母のこと」より。
(太字強調は引用者)
ぼくの乏しい経験に重ねれば、物語とは常に「こころ」を描くものである。具体的な描写を積み重ねた果てに、言葉にできないものを表現するのが物語なのだ。そして、そういう、「こころ」を書くために必要な描写を積み重ねることが、星野茂樹氏はできると、上述の二編を見ればわかる。だからこそ、氏は、オガツカヅオ氏という希代のマンガ家と組んで、『ことなかれ』という傑作を生み出し得たのだ。であれば、今度のプロジェクトも、きっとすばらしいことになるに違いない。
○本日の、東京の新規感染者数は、百六十八人。
七月二十一日(火)
○ひさびさにクマ先輩と同行する。大変勉強になった。
○土用丑の日であるが、昨今うなぎは高いから、なにか別の「う」のつくものにしなければならぬとまでは考えた(もちろん、共食いは禁物である)。しかし、では、いったいなににしようと考えると思いつかない。夕方のスーパーのすみっこで立ち尽くして、「う」の次にくる言葉を、五十音最初から数え始めた。「うあ」「うい」「うう」「うえ」「うお」、魚は範囲が広すぎる。「うか」「うき」、浮きは食えない。「うく」「うけ」「うこ」、烏骨鶏は……扱っていなさそう。「うさ」、絶対ダメ。「うし」、牛肉か。「うす」、それは食べ物ではない。「うせ」「うそ」、それも食べられないなあ。「うた」「うち」「うつ」「うて」「うと」。「うな」、それが食べられればよかったんだが。「うに」、もっと高くないか。「うぬ」。
「うね」「うの」、あがり! 「うは」、いつもありがとうございます。「うひ」「うふ」「うへ」「うほ」、『抱朴子』だね。「うま」、も、なさそうだなあ。「うみ」「うむ」「うめ」、すっぱい。「うも」。「うや」「うゆ」「うよ」。「うら」「うり」、……瓜! ひとつひらめいた! 「うる」「うれ」「うろ」、「売る」は五段活用だね。「うわ」「うを」「うん」、うん! 決まった! ぼくは冬瓜を買ってレジに並んだ。
○帰宅し、冷蔵庫を開けると、冬瓜のスープに使おうと思っていた鶏挽肉も鶏肉も使い切っていた。代わりにうどんがあった。うどんをゆでた。
○本日の、東京の新規感染者数は、二百三十七人。
七月二十二日(水)
○仕事をしていて、たいそう不愉快なことあり。
○むしゃくしゃしたので、イナバさんを呼び出して、いきつけの居酒屋「たまい」で飲む。
笑顔の素敵な女将さんに挨拶し、席について近況報告などしていると、昨日の、土用丑の日の話になり、「ではウニを食べよう」ということになる。「たまい」は全体的にリーズナブルな値段設定の店であるが、さすがにウニは高い。だが、三匹とも給料が出てすぐということもあって、すぐさまウニとアジのなめろうが運ばれてきた。ところが、一緒に注文した白飯が、今日にかぎって、なかなか来ない。そのあいだにも、話は続き、酒はテーブルと口元を往復しながら減っていき、当然、肴も減っていく。しびれを切らした下品ラビットが、「飯はまだかい。おれたちはウニ丼にしてえんだ」と言うと、ようやく白飯がやってきたが、その頃にはなめろうがなくなっていた。だが、イナバさんがまぐろの山かけを注文し、事なきを得、結果的に満足して店を出た。
○本日の、東京の新規感染者数は、二百三十八人。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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