コロナ渦不染日記 #3
四月十三日(月)
○在宅勤務。布団のうえで、寝間着姿で働くというのはたいそう居心地が悪いもので、布団をあげ、使っていないスラックスと古びたシャツに着替え、カーディガンなどを羽織って、ようやく「仕事をする気」になる。
○終業後、近所のコンビニ穴に買い物に行くと、トイレットペーパーが残っていた。すばらしいことである。
いったい、あの「トイレットペーパー買い占め」はなんだったのだろうか。いまでも量販店に残る「ペーパー類のお買い上げは一家族一点のみといたします」という張り紙が示すのは、この災禍の落とす影というより、変わらぬ人間の愚かさである。それを照らすのは、四十七年前のオイルショックの記録である。そうして、その愚かさが落ちつきをみせたことを、「棚に残っているトイレットペーパー」が示している。
しかし、なぜトイレットペーパーなのか。日本人にとって、「うんこをしたあとの尻を拭く紙」とは、そんなにも大切なものなのだろうか。「うんこをしたあとに尻を拭けない」ということが、いかほど心騒がせられることなのだろうか。米や食料品を買いしめるほうがまだ納得がゆく。この災禍に関しては、マスクや手洗い石けんといった理美容品がなくなるは当然といえよう。しかしトイレットペーパーは? 「汚い尻をして死ぬのはいやだ」という心理なのだろうか。
○フクイタクミ『百足』全三巻と、押切蓮介『サユリ』上下巻を読む。
四月十四日(火)
○在宅仕事中は自分で淹れたコーヒーが飲み放題なのはうれしいことだ。
○終業後、岬へゆく。マクドナルドのプリンシェイクはカラメルをかけると甘すぎる。
四月十五日(水)
○在宅勤務中、電話をかける用があって、すみかをぬけ出し近所の公園へむかう。午前十一時、そこらじゅうに陽気が満ちて風も甘く、すばらしい天気である。公園では母親どうしが談笑し、子供たちはそこらを駆けまわっている。小学生くらいの女の子たちが四人ほど、公園の柵を越えたところに植わっている木に登り、ここを秘密基地とする! 明日十二時にまたここに集まろう! などとやっている。
先方がなかなか電話に出ないので、タバコ草を一服する。在宅勤務になって家から出ないので、ほとんどタバコを吸わずにきていることに今更ながらに気がついた。ぼくは家ではいっさいタバコを飲まないのである。吸い終えたらくらっときた。
○終業後、母うさぎがビールを買ってきたので飲む。
四月十六日(木)
○前夜のビールのせいか、それとも在宅勤務になれてきたからか、朝が起きづらくなっている。毎朝布団をあげ、「仕事着」に着替えているのだが、その時間がだんだんと始業時間に近づいている。
○声優の藤原啓治氏が亡くなる。五十五歳。この災禍とは関係なく、闘病中であったご病気によるものであるという。
氏の業績はあまたあるが、ぼくにとっては二〇〇六年のアニメ『天保異聞 妖奇士』の主人公、「竜導往壓」であった。
この話は、天保十四年を舞台にした伝奇ロマンであり、人のこころと異界の理論が融合して生まれる妖怪と戦う、さながら科学特捜隊かウルトラ警備隊かという面々を描いた怪獣ものであり、そうして主人公の視点に立てば、江戸時代においてはもはや隠居になってもおかしくない「四十歳」を間近にひかえて、なお無頼の身であるはぐれものが、もう一度世間と、そして自分じしんと向き合おうとする、「負け犬のワンスアゲインもの」であった。そういう主人公を演じるに、さまざまな作品で「己の中の弱さや醜さをおっかなびっくり見据えていく等身大の男」を演じて定評のある藤原啓治氏の声は、すばらしい説得力であったのだ。
あれから十四年が経ち、今年、ぼくは四十歳になった。
四月十七日(金)
○在宅勤務に移行して最初の一週間が終わる。
○緊急事態宣言が全国に拡大される。ついに来るべきものが来た。
テレビのニュースや、SNSなどでは、もっとはやくこうするべきだったという声がかまびすしい。まったくそのとおりであるが、同時に、巨大な生きものである政府や「集団」というものは、どうしたって動きが遅いものだということもまた事実であろう。そして、これは人間やうさぎ一個体も同様であるが、普段からしっかり動きの反復練習でもしておかぬことには、なかなかすばやく思ったとおりに動くことはできないのである。
○終業後、岬にゆく。イナバさんの買い物に付き合う。岬はおなじ県内にあり、ぼくの住んでいるところからは、バスと電車を乗りついでだいたい一時間かからぬていど。
○帰宅すると母うさぎが、オンラインビデオ会議ツールで南米時代の同期とオンライン飲み会をしている。
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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