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コロナ渦不染日記 #4

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四月十八日(土)

 ○日記を書くことを思い至る。
 タイトルは『コロナ渦不染日記』とする。「ころな・ふせんにっき」と読む。もちろん山田風太郎『戦中派不戦日記』にならっての命名である。
「コロナ渦」は「コロナ禍」の誤字でないことは明記しておこう。この日記で取り上げるのは、「新型コロナウィルスの流行」そのもの(「コロナ禍」)ではなく、「それを中心として渦を巻くごとき世の動き」(「コロナ渦」)である。したがって、「不染」も、「新型コロナウィルスに感染していない(感染しない)」ということを指すのでなく、「そうした世の動きに染まらずにいようとする」ことを指す。いずれぼくも新型コロナウィルスに感染する日が来るかもしれない。いずれ世の動きに染まり、「みんな」と一緒になる日が来るかもしれない。だが、前者は生物として不可抗力であるとしても、後者に対しては個人として抗っていきたい。自らの立ち位置を確保した上で、他者の動きに取り込まれることなくいることで、むしろ他者と協働できるのではないかと考える。そうしていきたいという願いがある。それを込めた命名である。「自分は感染などしないから、他人の愚かさとは無縁である」などという驕った気持ちでないことは、明記しておくべきなのが今の時代である。事実より主観が尊ばれる時代なのだ。だが、そういう「渦」に対しても、ぼくは「不染」でいたいのである。

 ○ロジャー・コーマン『私はいかにしてハリウッドで100本の映画をつくり、そして10セントも損をしなかったか』を読み終わる。好著。


 ○妹うさぎがやってくる。前回引き取り忘れた荷物を取りにやってきたのである。テレビで女優がスペインを旅行する番組を見たので、いずれ自分たちもスペイン旅行をしたい、その時は兄(つまりぼくだ)や母も一緒がいいと言うのだった。彼女が去ると、花屋で買ってきたという、花のつぼみを集めたテーブルブーケが残った。

 ○夕食後、母うさぎが南米の人たちとオンライン授業をしている。
 彼女はうさぎの日本語教師である。南米の某国に赴任して、現地の日系コミュニティで日本語を教えていた。南米には、戦前に移住した人たちから続く日系人コミュニティが多くあるが、そこでは生活の便利上、日本語はあまり使われていない。特に若者は、日本語利用環境にいないこともあり、その必要性を感じていない。だが、言語は思考の基盤であり、アイデンティティの根幹であるので、コミュニティの人々はこれを使ってほしい、残してほしいと思っている。そこに需要が生まれ、母が赴任することになったのであるが、この災禍で帰国を余儀なくされた。しかし、任期は途中で、やるべき事はまだ残っているので、帰国から半月ほど、待機のあいだにもああでもないこうでもないとオンライン授業の準備をしていたのである。
 そして実行されたオンライン授業であるが、聞いていると、生徒の家のイヌの鳴き声であるとか、幼児の泣き声であるとか、そういうものがマイクに入りこんでくる。データ通信インフラの整備は世界を霊的につなげて小さくした。もちろん、その前提には陸海空の物理的インフラによる世界の時間的な縮小があり、それがこのたびの災禍につながっている。日本のうさぎの一穴居に響く、南米の家のイヌの鳴き声は、大都会東京を無人都市と化せしめたウィルスの流行と重なるものなのである。

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四月十九日(日)

 ○朝、田舎の父うさぎから通話。これから放送されるテレビ番組に映ることになる、という報告とともに、簡単な近況報告。

 ○午前中いっぱいを使って『コロナ渦不染日記』のnoteページを整える。つまり、今あなたはごらんになっている、この形式である。

 ○先週に引き続き、イナバさんとオンライン会食。イナバさんの地元の本屋が本日いっぱいで閉店するという話を聞く。大手チェーンなどではない、いわゆる「町の本屋さん」である。このたびの災禍は、中小零細にとってはまさに「災禍」であるとつくづく感じる。

 ○日記を編集していてふと思った。山田風太郎は、『戦中派不戦日記』を、誰に見せるともなく書いたという。もちろん書籍化するにあたって手を加えた部分はあろうが、書く際には読み手を意識せずいたであろう。ということは、かの日記は期限の定めなきものであり、正しい意味において日記である。だからこその、元日の壮烈な書き出しに対応した、大晦日の壮絶な日記が生まれたのであろう。
 しかしてぼくのこの『コロナ渦不染日記』はといえば、「四月七日の緊急事態宣言発出」をきっかけとして書き出しているのだから、このまま推移すれば五月六日に終わる予定である。その期間を記録し、「あの時期」の記録を残すのがこの日記の役割であるのだから、これは最初から読み手を意識した日記である。……だが、ほんとうにそうなるだろうか、と思ってしまったのである。この日記はどこまで続くのか。五月六日を過ぎれば、「コロナ渦」は収まるのであろうか。「コロナ禍」はおさまるかもしれない。しかし、その原動力が途絶したとしても、そこから生み出された力が隣接するあらゆるものごとに伝達され引き起こされる「コロナ渦」は、その先へ、どこまでも続いていくのではないだろうか。それほどに、この災禍は巨大な動きとなる力を持っている。

 ○夕方から三時間ほど、うたたねのつもりがしっかり寝てしまう。

 ○夕食は焼きうどんとサラダ、キムチにつくね。赤ワイン。

 ○『ジェシカおばさんの事件簿』を見る。『12人の怒れる男』をパロディした「陪審員はつらいもの」は、やはり何度見ても傑作である。



→「#5 どんな場所でも、どんな時でも、どんな状況でも」



参考・引用文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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