やらかし道場 #2 私がなぜ浪人したのか
皆さんこんにちは。やらかし道場 代表の鶴見真慧です。
#1では私には学歴コンプレックスがあるというお話を書かせていただきました。
両親、弟との学歴の差からコンプレックスは生まれたのですが、そこにはもちろん私自身の失敗が含まれる訳です。
私は浪人を経験しており、今回は私がなぜ浪人をしてしまったかについて書いていこうと思います。
理数は苦手なのに理数クラスに入った高校時代
私は高校時代、京都の公立の高校に通っていました。
偏差値は当時62くらいの高校の普通科Ⅱ類理数というクラス。
当時の京都はバス停方式という特殊な形態をとっていましたが
今でいう受験クラスといった感じでしょうか。
理系の進学が基本のクラスを狙って入ったという感じです。
理科や数学得意だったのかというと、
全くそんなことはありませんでした。
中学生の頃から1番得意な科目は国語、2番目は社会、特に歴史が好きであり得意なゴリゴリの文系。
中学生の頃からカッコつけて司馬遼太郎先生の本を読むくらいには、読書好きであり、歴史好きでした。
一方、他のクラスの人達の好きな科目は当然ながら理科や数学。
理科の実験中、炎色反応などで色が変わった時にすごく盛り上がっていたのを覚えています。なんか皆すごいなーと思っていた記憶があります。
なぜ理系を選択したのか?
そんなに理数に興味がなく、文系が好きだった自分がなぜ理系に進んだのか?
それはひとえに、両親の影響でした。
小学生の頃から「理系につきなさい」「研究職につきなさい」と言われていたのを覚えていますし、当時の自分はそれが当然だと思っていました。
両親が共に研究職だったこともあるのですが
私が小学生だった頃ちょうどリーマンショックがあったことも影響しているように感じます。だからこそ手に職をつけて欲しいという思いがあったのだと思います。
しかし小学生、中学生になるにつれ自分が文系が得意、理系が苦手が明らかになってきました。
そのあたりで母も気づいたのか
「文系が好きなら文系に進んだら?」と言ってくれるようになりましたが
私としては「進むなら理系しかない、文系は甘え、両親が理系で優秀なら自分も理系のはずだ」と少しずつ、文系を見下し、理系に憧れるようになっていきました。
人の言葉で決めた進路選択
そして私は高校1年生から高校3年生までずっと農学部を志望していました。
そこには原体験というような物もなく、たった一つ、父の言葉がきっかけでした。
「これからの時代は農業だ。食料自給率が下がっていくからこそ農業が必要になってくる。」
今から12年前。2012年の4月の少し赤みがかった夕暮れが見える頃、父に言われたことを今でも覚えています。
当時の私には、その時に「そうだ、農学部に進もう。」と決めました。
そう、私は原体験などなく、両親の言葉で、自分の頭で考えることなく決めたのでした。
そうは言っても上手くいくはずのない勉強
私は3年間、担任の先生に面談のたびに文転を勧められました。
今考えたらそれも当然だと思います。
評定(5段階評価)だけ見ても国語と社会は常に5。理科基本2か良くて3。数学はずっと2。
担任の先生は数学の先生だったので特にそう思えたのでしょう。
授業中、あまり楽しそうではない姿。ただ必死にノートを取る姿。
それなのに何故か頑なに文系を拒む。
当時の僕は文系をもはや見下すところまでいっていました。
もちろん現在は全くそんなことはありません。
あくまでの当時の自分は文系の人達全員を「理系から逃げた進路について考えていないやつ」そう思っていました。
歪んだプライドの塊
そうやって歪んでいった自分は、完全に変なプライドに塗れていました。
先生からどんなアドバイスをされても
「自分の両親よりも低学歴のくせに。偉そうなことを言うな。」
そんな風に自分とは全く関係のないことをプライドに思っていました。
そして高校3年生の夏休み前
3者面談にて担任の先生に
「このまま文転しなければ、どこも大学に行くことができないよ。」
そんな風に言われました。
当時のマーク模試の成績を今でも覚えています。
化学の点数が7点、順位が校内で下から2番目。京都で下から7番目。
期待値もびっくりのとんでもない落第ぶりでした。
5教科7科目の偏差値だけ見ても40前半とかそんなもんでした。
国語だけ68。校内でも一桁くらいの順位だったため
先生は本当に良かれと言ってくれた言葉でした。
しかし
「僕は国立の理系に進みます。文系に行くくらいなら浪人します。」
私はそんなことを言って先生の頭を悩ませてしまいました。
振り返ってみると私は何度も何度も両親や先生の救いの手を払いのけ、自分の歪んだプライドにしがみついていました。自分が残したものなど何もないのに。
どんな勉強方法をしていたか。
皆さんにはこれだけは読んで欲しいと思います。
それは、この勉強をしたら絶対に失敗するということ。
それは、苦手な科目を勉強する時にレベルの高い問題集をするということ。
得意な人がやっている問題集を真似して同じ問題集をやること。
化学で7点を取った私が、最初にやった問題は
数研出版の「重要問題集 化学」。
これは理系では最も有名と言っても過言ではない、すごく良い参考書なのですが、私に取っては一番やってはいけない問題集でした。
何故これを選んだか、大学に合格した人がほぼこの問題集をやっていたから。
化学の基礎が何もわかっていない自分にとって、難しい問題をひたすらやってもただ問題の答えを覚えるだけ。
やってもやっても成績は上がりませんでした。
WEB玉塾には救われた。
そんな報われない勉強を続けて11月。模試の成績も27点くらいとほぼ変化の無い中、動画で無料で基礎を教えてくれるWEB玉塾にはすごく救われました。模試の成績が45点くらいは取れるようになりました。
しかし、基礎の大事さに気付くのが遅すぎた
45点くらい取れても、結局は半分を超えられていないため、
センター試験も5教科7科目の平均で6割いくかいかないか。
そして、私は当然のように浪人してしまいました。
今でこそ、自分のこの経験は意味のあるものだったと思えています。
理系にこだわり続けた日々も、浪人した日々も自分にとっては意味のあるものだったと思います。
しかしながら、あくまでもやらなくてもよい、良い経験であったことには変わりありません。
だからこそできる限り浪人などの思いはして欲しくないと思っています。
なので最後にこのことは心に留めて欲しいと思います。
自分のためを思ってアドバイスされたことは、一度ちゃんと聞くこと。
必ずしも実践する必要は無いが、耳には入れて自分の頭で考えること。
そして自分の頭で考え、判断すること。
これだけは心に留めてください。
私のこの失敗がいつか誰かの役に立つよう、願っています。
次回は、私がタイムマシンに乗れたらどの過去を変えたいか?
トラウマについて書いていければと思います。
スキやコメントいただければとても嬉しいです。
やらかし道場 鶴見