平等、リスク、ミス、言わない
ここの所のコロナ関連のニュースを見ていて、本当に日本人というものは不思議な発想をするんだと実感している。
日本人という書き方が不適切なのであれば、政治家とか官僚(一部の人かもしれないけど)の考え方はおかしいと思う。
自治体の職員の人たちも考え方がおかしいのか、何かに縛られているのか、行動がおかしなことになっている。
平等について
平等とはどの様なことなんだろうかね。
その昔といっても何十年も前ではではないけど、徒競走で順位を付けるのを止めたという訳の分からないことがあったのは記憶に新しい。
不公平があってはいけないのか、平等でなければいけないのか、なんだか解らないけど変な考え方があったと思う。
機会の平等と結果の平等という考え方に大きな勘違いがあったヤツだよね。
この件は、機会は平等であるべきだけど、結果は本人の努力とか運によって平等にならないものを無理矢理平等にするという考え方はあまりにもおかし過ぎ。
その様なことを考えている校長先生なのか、普通の先生なのか、文科省の役人の人たちなのかは知らないけど、彼らがそんなことすら解らないとは思えない。
でも、そんなことが現実に起こってしまったんだよね。
今回のコロナワクチン接種では、何万人いる対象者に対して数%しか用意していない接種のチャンスを電話とネットで申し込みさせることの異常さは、一体何が起こっているのだろうか。
嵐のチケット予約とかと同じ現象が起こっているんだよね。
政治家たちは一生懸命「全ての人に行き渡ります」と叫んでいるけど、高齢者がそんなことを聞く耳を持つはず無いよね。
少しでも早くということをテレビでこれだけ煽っていたら、予約に殺到するわけだ。
では、どうしたら良いのか。
絶対に平等に配布することができない状況にありながら、平等に扱うような建前だけを全面に押し出す思考停止が発生している訳だ。
政治家という超法規的な行動を取ることが出来る人たちが、誰かの目とか指摘を怖がってしまい、結果的に何も判断せず、表層的に見える平等というやり方を思考停止で決めてしまっている訳だ。
一体何を考えているのだろうか。
年齢を決めるとか地域を決めるとか、それこそ無作為で順序を決めるとか、自治体側で決めた人に送るとかすればこんな大騒ぎは起こらないはずなんだけど。
で、結局全員分のワクチンが届かない限り、絶対に平等には配布出来ないわけだから、だとすればいかにスムーズにワクチン接種ができるのかという効率化という考え方を元に判断するしかないんだけどね。
効率化よりも平等を優先する。
でも平等にならない状態なんだけどね。
一体、どうしてしまったのだろうか。
リスク
リスク対策というものは世の中で良く言われており、対策は次の4つがあるということはもはや説明するまでもないくらい一般的になっています。
・回避(予防)
・低減(軽減)
・転嫁(移転)
・受容(保有)
言い方は異なるけど、こんな感じです。
その上で、リスクとはその時点では発生していないことに対する危険性です。
既に問題となっているものはリスクではありません。
では、変異株の水際対策で空港検疫を強化するということは、リスク対策なのだろうか。
それとも問題が発生してしまったので、これ以上被害を広げないための弥縫策なのだろうか。
絶対にリスク対策だよね。
一番単純なのは回避(=入国拒否)であったり、低減(=隔離)なんだけど、既にインド変異株はしっかり日本に入ってきています。
英国株の時もそうだったよね。最初は静岡で見つかり、まだ変異株は市中感染していないという言い方でしっかりとしたリスク対策が出来ていなかったから、結果的に現時点では英国の変異株がほぼ全てになってしまったんだよね。
まぁ何をやっても結局は変異株に入れ替わることは避けられなかったんだろうけど、少なくとも感染のスピードを抑えて、ワクチン接種までに時間稼ぎは少しでも貢献出来たはず。
では自治体とか国にリスク管理の専門家はいなかったのかというと、そんなことは絶対にないよね。
おいらなんか足下にも及ばないもっともっとリスクに対する専門家がいたと思う。
でも、問題が発生して大きくなってから後手後手の対応になっているのはなぜなんだろうか。
リスクに対する対策という考え方自体がなぜ有効に発揮出来ないのだろうか。
フクイチでの防波堤の高さとか電源をどこに置くのかということに対してのリスク管理もできていなかったし、なぜか専門家だったり、頭が良い人たちはリスクというものを軽視しがちなんだよね。
想像するに、どんなことが合っても対応可能と考えることが原因なのかもね。
ミス
人間であることはミスをすることを前提に考えなければならないことは当たり前の話なんだけど、なぜかミスをすることを極端に恐れてしまうんだよね。
ミスはしないに越したことはないし、ミスの大きさも小さい方がよいのは、それはその通りです。
でも、そこで陥る最大のミスが、ミスを恐れることにより、動きが硬直したり、思考を止めてしまったりすることなんだよね。
ミスをしないようにして、その結果作業を行わないという動き。
動かなければミスはしないもんね。
これが、回り回ってリスク対策を行うことを躊躇させている一因になっているような気もします。
犯罪行為を行ったことですら、加害者側には更正の余地を残している考え方でいるのに、政策で失敗することに対して非常に強い危機感を持ち、かつあとで攻められないようにするという防御を前提に考える動きは最悪です。
メタ認知というものごとの考え方の中にセルフハンディキャップというものがあり、あらかじめ言い訳をして自分自身にハンディキャップを課すことで、失敗しても自尊心が傷つかないし、成功したら「ハンデを乗り越えた自分はすごい」と快感を得られるという考え方。
無謬制という訳の分からない考え方もそうだし、官の人たちのプライドの高さもあるのかもしれないけど、間違ったことを認めてはいけないんだろうね。
でも、人ってそんなバカではないんだよね。
その様な動きをしていることで、結局ミスを連発していることで呆れた顔をして見ていることに気がつかないのかね。
ミスはします。ミスは理由があります。ミスをすることは成長する糧になります。
ミスをしないためには動かないことが一番です。ミスをして責められないようにするための防御から考えると動きが小さくおかしくなります。
なんなんだろうね~
言わない
今の政治家とか官僚が一番望んでいることは、経済の落ち込みを最小限にすること。オリンピックを開催すること。
この二つが最大のテーマなんだろうね。
でも、そのことを明確に目的として言わないんだよね。
もしそれを言うと、人の命と経済とどちらが大切なんだ。オリンピックと人命はどちらが重いんだということを突っ込まれるからね。
そのロジックでは、経済よりオリンピックよりもコロナ対策が重要なんだということになり、本当にやりたいことができないことになるんだよね。恐らく。
でもさ、本当に経済を立て直すならば一度コロナを完全に抑え込む必要があるわけだし、オリンピックを開催するでのあればコロナを完全に押さえ込む必要があるわけだ。
本当にやりたいことを言って、それを実現するための方策を明確に言えばいいのに、なんで、建前の話しかしないんだろうね。
もし、オリンピックをやると言って、開催出来なかったらどうなるのかなんて考えているのかな?
それとも何かの攻撃を受けるのがいやなのかな?
良く解りません。
思っていることは言って良いし、特に政治家は「誰もが考えていること」をやるだけであれば、政治家は入りません。官僚のみがいれば良いだけです。
政治家は思っていること、やりたいことを宣言して、それに合う政策を出し、国民に審判を問う。
これが無ければ政治家は必要ありません。
全ての人に心地よい言葉なんてあるわけないのだから、言えば良いのに言わないからダメなんだよね。
で、どうなるのか
とここまで見てきて、コロナという外敵が発生することで日本という国がどうなっているのかがよく見える訳だ。
幕末の時に、黒船が襲来することで日本という国に対する意識が生じたのと同じだね。
コロナ禍がどれくらい続くかは解らないけど、もう少し経ってみたときに大きな分岐点になっているような気がします。