ポリゴンの住処:序
「あー」
「やることないなー」
頭に獣の耳が生えた、パーカーを着た美少女はソファに転がって天井を眺めていた。
「チェスでもするかい?」
山高帽を被って、サングラスを掛け煙管を咥えたダンディな男は、窓際に美少女を手招きする。
「それ壊れてるじゃん」
むっとして顔をしかめると、よっと身体を起き上がらせて窓際に手を衝く。
「壊れてるってのは違うな、ただまれに駒が"飛んで"いくことがあるだけだろう」
「それじゃ勝負にならないじゃん」
「いいや、それを故障と呼ぶのか、我々なりのエキサイティングでクリエイティブなローカルルールとして制定してしまえばいいだろう」
「そう思わないかい」
山高帽の男は、部屋の隅で鏡に向かってポーズを取って居るチャイナドレスを着た妖艶な美女に語り掛ける。
「どーでもいい」
「うーん、やっぱ前のがよかったかなぁ」
美女は髪の先をしきりにいじっては、照明に透かして色合いを確かめたりしているようだった。
「これは失礼」
「チェスの相手ならアイツがいるじゃん」
美少女は、ソファの後方でじっと正座で鎮座している武士のような容貌のロボットを指さす。
「…仕合うのか?」
ロボットのアイバイザーは、鈍くこちらを捉えて輝る。
「違う違う、フィジカルではなくロジカルな闘いの話だよ。」
「…仕合わぬのなら、去ね」
ロボットのバイザーは、再び輝きを失い、静寂が訪れる。
「やれやれ」
美少女は肩をすくめると、窓から下を見下げる。
下には、ただ広々と、無機質で今にも呑み込まれてしまいそうな宙が、見渡す限りどこまでも広がっていた。
この世界の名前は、「MYROOM1.8」。
数年前から模様替えを重ねてきて、チェスやビリヤード、鏡、ホームシアタースクリーン等の娯楽設備、トイレ、浴室、更衣室、寝室を一通り取り揃えているコンドミニアムのような造りの建造物だ。
彼女たちの居る部屋は、その中の談話室に当たる。
基本的に彼女たちはこの部屋の外に出ない。
どうやら食事や入浴、睡眠は必要としないらしい。
1番昔から居るらしいあのロボットはとても無口なために、この部屋の歴史はどこがどう変わったかとか、誰が入ってきたかどうかしか分からない。
あるいは、それ以上の情報がそもそもないのかもしれない。
それゆえに、彼らはここに集い、膨大とも取れる時間を過ごす。
だが時として、変化が訪れる。
「!」
美少女はふと眠気を感じ始め、体の周りに蒼い光をまとい始める。
「あーあ、またアンタか」
「これで3回連続、だったかな」
「…」
「何よ、その態度!」
美少女はむっと眉をしかめると、そそくさと部屋の中心に立ち、次第に足元から光に包まれていく。
「いい夢を」
「チェスの相手はお預け!悪いわね」
光が体のほとんどを包み終わったころ、目を閉じる。
美少女は、眠りについた。
「睡眠」と呼ばれるこの現象は、無作為に選ばれた者がこうして一定時間の間姿を消し、夢を見る。
夢の内容と言えば、山高帽の男は派手に銀行強盗をしたと言ったと思えば、
チャイナドレスの女は音楽に合わせてダンスを踊ったと言うこともある。
今回の私の夢は、街中でウインドウショッピングをするもののようだった。
何度か見たことのある風景ではあったものの、いつもの部屋でないのと、身体がまるで誰かに操られているかのような不思議な感覚から、心が踊るのを感じる。
時折、夢の中で自分の好きなように動けないことがある。
でもそれは、夢だから仕方の無いことだし、外に出られることに比べたらなんてことはないと思えるようになっていった。
「こんにちは」
美少女がはっと後ろを振り返ると、マネキンのようなものが動いていた。
「…。」
「あれ、聴こえてないのかな」
「いえいえ、あの」
「ああ、良かった!」
「はじめまして、1人ですか?」
「はい」
「じゃあ僕と一緒ですね!」
マネキンは隣に立って、ウインドウの中のアクセサリーに向かって指を指すようにしながら、
「これ、いいですよねえ」
「僕の今のコレもいいんですけど、イメージ変えたくって」
「あなたも、コレ気になってるんですか?」
「あ、いあ…えっと」
うまく言葉が出てこない。
「あれ、もしかして初心者ですか?」
「あ、え、?」
「すみませんすみません!僕またやっちゃったなぁ」
いつもと、何かが違って感じる。
「あの…よかったら…色々教えましょうか?」
「あ、えと、あの、悪いですよ」
前にもこういう夢はあった。
だけど、その夢は…
「お願いします!」
おかしい。
いつもの夢と違う。
「自分、何もわからなくって。いつもこうして1人で居たんです」
「もし良かったら、お願いします。」
私は、こんなこと望んでいないのに。
「モチロン!じゃあえっと…」
「…ふむ、どうやらプロテクションがかかってしまっているみたいですね」
「最近はユーザも増えてきたんだから、最初からオフにしてしまったらいいのにね」
「はあ」
ワタシの意思に関係なく、会話は何故かするすると進んでいく。
山高帽の男も、チャイナドレスの女も、ロボットとも違う者と会ったことは初めてでは無い。
皆このマネキンと同じような見た目をしていて、それでいて見た目に反せず無機質な受け答えをしてくるものばかりだったものだから、獣耳の美少女は面食らってしまっていた。
彼女は意思の疎通をMYROOMの住民以外と、交わした事がなかった。
「じゃあ、部分的にプロテクションを解除してもう方法を教えます。これで僕の姿が見えるようになりますから」
そう言うと、マネキンは手と思しき部位をこちらに向けてきて。
「こうやって、握手した状態で10秒経つと承認することになります。このプロセス、僕は結構情緒があって、気に入ってるんですよ。」
自分は、おずおずと手を握り返す。
硬く冷たい感触が、徐々に熱を帯びていく。
"睡眠"に入る時に包まれる光が、今度はマネキンの足元から上へ向かって広がっていく。
「う…」
「大丈€ですか?負荷がか%っている#+な」
視界がぐらつき始める。
「もうちょっ○です。がん*っ<くだ&☆」
ようやく顔の部分まで光がたどり着いたときには、
自分は金縛りのように身体をひとつも動かせないようになってしまっていた。
そして。
「はっ?!」
「おっ、お目覚めか。」
「どうだった?」
自分は、いつもの部屋にいた。
山高帽の男と、チャイナドレスの女は自分を取り囲むようにして立っていた。
「…ヘンな感じだった。」
「「ヘン?」」
「マネキンいるでしょ?あれが話しかけてきたんだよ」
「ほう、それはまた珍しい。」
「なんて言ってたの?」
「なんか…初心者がどうとかって。プロテクションとか」
「ナニそれ?」
チャイナドレスの女は、期待はずれの様子を示していたが、
「…何奴だ、そこの者」
ロボットの低い声が、部屋の出口に向けて放たれ、皆一様に急いでそちらに目を向けた。
そこには。
「エエト…」
獣の耳をした小さな少年が、恥ずかしそうにして立っていた。
ポリゴンの住処:破に続く