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病んでるヤブ医者元谷さん #4『木』

高橋と永井が車を降りたころ、時刻は午後20時頃を回っていた。
駐車場には、名前には聞いたことがあるが実物は初めて見るような、
絢爛な高級車が顔を連ねていた。
永井のいう「エス」の住まうというマンションは、都内でも高所得者が多く住むと謂れが付くような湊区ではなく、
高橋が学生のころよく遊びに行っていた渋山区の、誰も寄り付かないような場所にひっそりと、それでいて壮重で、シックな造りで建っていた。

エレベーターで高層に上り、永井が向かい立ったドアの表札には、「元谷」と書いてある下に「やなぎメンタルクリニック」と書いてあるプレートが付いていた。

部屋のベルを鳴らすと、眼鏡を掛けた穏やかな顔だちの男が迎え出た。
「夜分にすまねェな、元谷。」
「いえいえ!ちょうど、今日は休診日だったんですよ。」
「こちらの方は?」
永井から目くばせされると、高橋は警察手帳を取り出した。
「生活安全課の高橋と申します。あっ…!」
高橋は急いで手帳をしまった。
この男は「エス」なのだから、どこかしら裏社会に繋がりがあるはずだ。
怪訝に思われでもすれば、今後の捜索に影響が出るかもしれない。
警察関係者だということは隠すべきだったか―
そんな様子を気にも留めず、男は
「こちらに」
と玄関へと二人を迎えた。
高橋は恐る恐る永井に続いて、元谷と呼ばれた男の玄関をくぐる。
廊下の壁には丁寧に整えられた調度品が並んでおり、壁にはちぐはぐなタッチで描かれた木の絵が大量に額縁に収まっていた。
応接間のような様相の部屋に通され、二人はロングソファにかけると、
男は高橋に向かって、「お飲み物はなにがお好みですか?」と訊いてきた。
高橋は、それどころじゃないとはわかっていたものの、下手なことをすれば機嫌を損ねかねないと逡巡した末、
「いえ、どうかお構いなく。こちらも遅くにお邪魔しているものですから、心苦しいですよ。」と返した。
すると男は、柔和な表情を浮かべて、
「いえいえ、大事なお客様ですから。それに、6時間も何も飲んでいないとさぞ喉が渇いているでしょう。」
高橋は言葉を失った。
確かに、事務所で午後2時頃にエナジードリンクを飲んで以降、何も飲んでいない。
「食事もあまり十分に摂れていないようですから、軽食とハーブティーはどうでしょうか?」
「え、ア・・・・?」
永井の方を見ると、俺は何も言っちゃあいない、というように手を横に振りながらうっすら笑みを浮かべていた。
「は、はい…では、それでお願いします…?」


男が出してきた食事は、軽食と呼ぶにはいささか異なって思えるような、丁寧なものだった。
ハムとレタス、トマトのサンドイッチ、ポーチドエッグ。そして―
「まずはスープからどうぞ。時間は気にしないでいいですから、ゆっくり召し上がってください。」
いまだに状況を把握しきれないような気持で、高橋は言われたままにスプーンでスープを口に運ぶ。
少しだけ大きい器に具は入っていなかったが、綺麗な透き通った琥珀色をしていた。
喉を通っていくと、久しく感じていなかった心地よい感覚と、
どこか懐かしいようで初めて感じる、温かく柔らかな味が味蕾を優しく撫でた。
「――!」
高橋の食指は次第に早くなり、あっという間に軽食を平らげ、ハーブティーを飲み終わると、
ふうっ、と肩の力が抜けた。

永井は、コーヒーを飲みながらその様子を眺めていて、しきりににやついていた。
「ごちそうさまでした…。すみません、本当に…。」
「お口に合ったならなによりです。見たところ、大分お疲れのようでしたから。」
どうして食事や水分を摂っていないということが分かったのか、訊こうとしたが、依然として高橋はこの男のことを、エスだという素性とのギャップから余計に不審に思っていた。
「…さて、じゃあ本題なんだがよ。」
「ええ、こちらの高橋さんの妹が、一週間前から行方不明、とのことでしたね。」
「手がかりは最後に病院に向かったということのみ、ですか」
「ああ。で、病院とくりゃアンタに当たるのがイチバンかなと思ってよ?」
「頼っていただけるのは光栄なんですが…」
「…一課に頼れない事情があるんですね?」
「まあ、そういうこった…情けない話だがな。」
「頼めるか?」
「ええ。他ならぬ永井さんの頼みですから。喜んで。」
「では…」
高橋はほっ、と胸をなでおろすといよいよどんな情報が飛び出してくるのか、と固唾を呑んだ。
「高橋さん。下の名前と、生年月日をお伺いします。」
「えっ…ハイ、浩介といいます。1998年、7月18日生まれです。」
「家族構成は?」
「父と母、妹が…一人です。」
元谷は続ける。
「持病はお持ちですか?」
「これといって、特には…?」
「日常生活でお困りのことは?」
高橋はついに口に出した。
「あの!」
「?」
「これって…捜査と関係ありますか?」
「うーん…」
元谷は首をわずかにかしげると、
「あるかないかで言えば、あります。」

元谷は椅子から立ち上がると、
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。そこから始めましょう。」
「私は、元谷基哉と言います。精神科医をやっています。」
高橋に向かって、笑顔で手を差し伸べた。


元谷は握手を終えると、こう続けた。
「普段はメンタルクリニックで診察やセラピーを行っているんですが…」
「副業の一貫の一つとして、患者さんのトラブルや困りごとを解決するアシストサービスも行っています。」
永井の方を見やると、
「もうお伺いになっているかもしれませんが、永井さんがかつて捜査一課ニ居た際は、主にメンタルプロファイリングの面で捜査に協力させていただいていました。」
そう言いながら椅子に腰かけて、高橋を見直す。
「菜由美さんについての情報はある程度把握していますが、彼女の精神プロファイル作成にあたり、もっと精度の高い情報が必要になります。」
「本来であれば、ご両親にお伺いしたい所ですが…」
「気を悪くしてしまったら申し訳ないのですが、貴方のご両親から受け取った情報よりも、」
「客観性の面と現在も菜由美さんの行方がわからない状況から鑑みて、実兄であるあなたから頂く情報の方が相応しいと判断させていただきました」
「そこで」
元谷は、二人との間にあるテーブルの引き出しから、スケッチブックと鉛筆を取り出して、続ける。
「その第一段階として、”あなた”をプロファイリングします。」
「今からこのスケッチブックに、私が指示したものを描いてください。」
「私が指示したものであるという条件を満たしていれば、どんなものでもかまいません。また、この指示以外の情報は一切与えることはできかねます。」
「どれだけ時間がかかってもかまいませんから、”あなたの木”を描いてください。」


なにをやっているんだろう。
高橋はそう思いながらも、鉛筆を紙に走らせていた。

小学生。
図工の時間は好きだった。
思ったように絵を描いたり、粘土を捏ねて作品を作るのが楽しかった。
ただただ楽しくって、たまに授業が終わって皆校庭に出て遊んだり帰ったりしている中、一人残って絵を描いたりしていた。
そんな様子を見た先生から褒められて、うれしかったことは今でも覚えている。
別に他のことが嫌で、それにしか打ち込めないわけではなかった。
授業にしたって、体育にしたって、放課後にしたって、自分なりに一生懸命頑張った。
警察官になりたい夢もあったし、なによりも頑張ることが好きだった。
当時の自分にとって世界は、なにもかもが耀いて見えていた。

中学生。
美術の時間は嫌いじゃなかった。
周囲の友人はいつにもまして退屈そうにしていたり、こんなことをやっても将来のためにならないと言っていたりしていたが、
自分はそれでも、自分なりに頑張った。
自分が目指すべくしている警察官は、
どんなことでも前向きに取り組むからだ。
ある日から、油絵を描く授業が始まった。
出来のいい作品はコンクールに出展するというので、
部活動の合間を縫って美術室に通いつめた。
先生の意見を聞いたり、図書室で調べごとをして、
何度も何度も描いてはやり直した。
将来は警察官じゃなかった?と友人に聞かれたが、それが頑張らない理由にはならなかった。
一通り授業が終わり、作品が廊下に並べられると自分の絵はひときわ目を引いた。
やるじゃないか、と担任に褒められたりもした。
でも、自分の絵はコンクールでの入賞はおろか、出展もされなかった。
理由はただ一つ。
”違った”からだった。

高校生。
美術の時間は嫌いだった。
絵を描くことも、がむしゃらにがんばることにも、
家に帰ることにも、嫌になっていた。
ただひたすらに、警察学校に入るために勉強した。
逃げているのか、進んでいるのか、わからないままに――

「――さん、高橋さん」
元谷の声がして、上を向くと、頬を涙が伝った。
高橋の手は震えていたが、
いささかふやけたスケッチブックには、
欅が紙面の両脇に寸分違わず奥へと並んで、整然に軒を連ねていた。


「――結構です。それではこちらに」
カッターナイフを受け取ると、ひときわ肩幅の広い男は指先に少し傷を付けて書類に血判を押した。
スーツ姿の男はそれを受け取ると、
「これからも、よろしくお願いします――」
そう言いながら慣れた手つきで喫茶店のテーブルに千円札を二枚置き、喫茶店を後にした。
数秒後、男の携帯に2通の通知が届いた。
血がわずかに滲む指を舐めて、画面をタップする。
片方は、口座への入金通知。そしてもう片方は、”参考資料”という件名のメールだった。
メールには、タイムスケジュールが記載されていて、
画像ファイルが添付してあった。
男がファイルをタップすると、
スマホの画面には高橋浩介の顔が、映っていた。

第四話 「木」 -終-

第五話はこちら⇩
https://note.com/yaponsuki3/n/n32d51d2a6e2b










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