病んでるヤブ医者元谷さん #5『対価』
高橋が描き終えたスケッチブックを見ながら、元谷はしばらく考え込んでいるような様子だった。
すると永井は、うなだれている高橋の肩を叩き、
「元谷、ちょっとこいつ連れて一服してくるわ。」
元谷は顔を上げて眼鏡を少し戻すと、わずかに間をおいて答えた。
「―ええ、わかりました。喫煙所は…」
「駐車場の隅だろ。覚えてるぜ。」
「…いいえ。生憎喫煙所は撤去されてしまって…」
少し申し訳なさそうな顔をして答えた。
「かァーっ!嫌煙路線ってヤツか…」
永井は高橋の脇を半ば強引に持ち上げて、
「セケンの風当たりはキビシイねェ…」
「参った、参った…」
そう言いながら部屋を後にした。
元谷は、二人を見送ると、目線を再び紙面に向けた。
高橋が行った、木を描くといったものは「バウムテスト」といい、
被検体によって描かれた樹木をその人物の自己像として分析し、
精神状態や思考パターンを割り出す。
どういったイメージなのか、枝分かれはしているのか、幹はどういった形状をしているのか、といった要素から、おおよそどういった人物であるかは簡易的に把握することが可能になっている。
だが――
高橋の描いた並木道の絵は、元谷が今まで目にしてきた様々な絵の中でも、異質を放っていた。
左右に並ぶ欅は、どれも均一かつ精細な表皮が点描で表現されており、
奥へと続く地面は、手前から鉛筆を完全に寝かせて少しずつ直角へと近づけていくことで陰影を描いていた。
さらに、驚くことに葉の一枚一枚に至るまでまるで判を押したかのように全て押しなべて同じ枚数であり、
そして。
元谷は引き出しからL字定規を取り出すと、欅同士の間隔、葉の大きさ、樹木の大きさを一本一本計測し、メモに取っていく。
計測が終わると、ペンを置き、前髪を掻きあげる。
欅の大きさは、奥に行くに連れて全て等間隔の大きさで描かれていた。
こんなものは、見たことがない。
感嘆したふうに顎を撫でていると、元谷の携帯が机上でカァ、と音を立てた。
すぐさま確認すると、元谷は立ち上がり足早に書斎へと向かうと、
ドアノブの上についている指紋認証装置に親指を当てる。
急がなければ―。
書斎の壁にはずらり、と多様な形の杖が何百本も並び、元谷を見下ろしている。
彼は”35”と刻印された杖に手を伸ばし、掴んだ。
◇
高橋は、マンションから少し離れた公園のベンチに座っていた。
横では、永井がショートホープを吸いながらどこか遠くを見つめていた。
「…あの」
「うん?」
「すみません、さっきは」
「なんのこったよ」
永井はしらばっくれていたが、高橋は彼が一服すると言い、あえて自分を冷静にするために外に連れ出したと踏んでいた。
永井は気づけばどこでも構わずエイコスや紙タバコを吸うような人間なので、元谷の家で断って吸えばよかったものを、
駐車場から上階に上がる際にも喫煙所が無くなっていたことを嘆いていたのにも関わらず、あからさまにウソをついたあたり―
相変わらず不器用な人だな。
そう思い、少しうれしかった。
一方永井のほうも、すこしわざとらしすぎたか、と自省にふけっていた。
「それで、な」
「恐らく、ここからは奈由美チャンの話になると思う。」
「お前さんから聞いてる限りは、兄弟仲はアンマリってところだとは思うが…」
「なんか、その…どういうコなんだ?」
妙にいそいそとしている永井に疑問を抱きながらも、
「・・・昔は、仲が良かったんです。」
ぽつり、と語り始めた。
「菜由美がちょうど、小学校に入学するころ…一緒に旅行に行ったんです」
「家族5人で、車の中ギュウギュウで。何時間もかけて…」
「5人?…するってェと…」
「はい。僕にはその時、もう一人の妹が居たんです。」
「そうか。」
永井は後ろから高橋の肩に手を置き、
「辛かった…な……?」
そう言うと―
突然ばたり、と倒れた。
「!?」
後ろに殺気を感じ、すぐさま振り向こうとすると、
鼻孔に鋭い痛みが走り、視界が宙を舞った。
(打撃―!?)
高橋は奥歯を噛み締めると飛びのき、ベンチの向う側に佇んでいる者を目視しようとするも、どこにも姿は見当たらない。
(なんで急に)
(どこへ行った)
(永井さんは無事か)
(何が目的で)
(誰だ)
(助けを呼べるのか)
逡巡していると、また次の痛みが右大腿部へと届く。
重心が崩れかけながら右を確認すると、逆方向からまた顎に向かって打撃が飛んでくる。
ずさぁ、と退きながら、高橋は脳が揺れているのを感じた。
だが、彼にとってそれが気を失ってしまう理由にはならず、なんとかして活動を続けていた。
正体はどうあれ、明らかに敵意を持った攻撃。
(なら――)
高橋は、右手で自らの左肩を、左腕で右腕を挟み込むようにして、十字に両方の腕を交差させる。
背中は丸め、顎を引く――
◇
肩への打撃。
だが高橋は、動じずに初めてその拳の持ち主を視界に捉える。
フードを被った男。
身長は170cmほど、高橋よりわずかに高く、それでいて肉厚な体つき。
(投げるしかない)
男の右ジャブが飛んでくる。
同時にガードを解き、それをはたき落すと、襟元を掴もうと左手を伸ばす。
男は強引にはたき落された勢いを使い、高橋の左腕を勢いよく下から殴りつける。
高橋は大きく体勢を崩す。
すぐさま空いた右脇へ右ストレート。
拳はみぞおちに吸い込まれ、鈍い音を立てる。
男はニヤリと笑うと、膝で高橋の顎を蹴り上げる。
どぐぅ、と鳴った高橋の顔は、上空を見上げ―
すぐさま男に向き直る。
男はぎょっとして、数歩間合いを下げると、攻撃の連打を止める。
呼吸を一息置いたのち、右手でスナップをかけ、
スイッチブレードの刃を露わにする。
(刃物…!!)
(喉か手…!)
高橋はクロスガードの構えで頸部と手首を守ると、攻撃に備えて脚を踏み固める。
男は肩を脱力させ、攻め入るルートの始点を定めるべく、左右にゆっくりと動く。
「誰だ!なんで俺たちを狙う!」
男はくっくと笑うと、刃を揺らめかせる。
「聞き飽きたンだよそれ」
ゆっくりと間合いを詰めてくる。
「”どうして”、”なんで”、そんなこと理解してどうする?」
フードの中では、男の犬歯が鈍く光り、殺意の眼光を向けてくる。
「それで俺に、何の得がある?」
「世の中はなんでもギブアンドテイクだ」
上から斬りつけてくるのを、横へステップを踏んで躱す。
そのまま横への斬撃、後ろへ跳んで躱す。
「知りたきゃ対価を払え」
「お前はまだ、一つも払ってねえ」
男は刃をこちらに向けて言い放つ。
「おまえ、ほとんど痛くないんだろう?」
高橋の額に汗が伝う。
(感づかれた…!)
ぐん、と寄ってきて鋭い刃先で切りつけられる。
ついに刃先は腕に当り、ずりゃりと肌が裂かれる。
腕から血が滴るが、痛みはほとんど感じない。
あまりにも鋭い包丁でついた切り傷はほとんど痛みを感じないように、
高橋のそれも同じような仕組みで感受しているのでは無かった。
続けて右脚、左肩、頬、腿と切りつけられていくが、感じるのは血の暖かな温度と、ほんの少し遠くに感じるようなわずかな痛みだった。
「ハハッ!!おもしれー!!」
「サンドバッグよりおもしれェ!!」
腹を刺そうとしてくるのを、ガードを解き腕を掴む。
ここだ――。
高橋は男の腕を掴み、膝をぐん、と落とす。
「お?」
そのままぐるりと男に背を向けると、重心は徐々に前に―。
警察学校で何度も練習した、足さばきで。
男の身体は宙を舞い、勢いよく地面へと叩きつけられる――
はずだった。
男は地着の最中、脚をばねのように使い。
衝撃をものともせずそのままぎゅん、と後ろへ飛びのいてみせた。
「なッ…!?」
唖然としていると、視界にもやがかかり始める。
力が拳、腕、膝へと抜けていき―。
「効いてきた効いてきた」
高橋はばたん、と膝を衝いた。
(なんだ…まさか…)
「コレを使うのも久しぶりだなァ」
男はスイッチブレードをひらひらとかざしてみせると、ボタンを押して刃を仕舞った。
(毒…!?)
「もうちょっと遊んでたいけど、あんまり傷つけるとオカミがウルセェから」
今度は男が、片方の腕で高橋の胸ぐらを掴み――
思い切り投げ飛ばした。
高橋は背中にどむと地面の衝撃を感じ、胸から空気が飛び出す。
「かァッ…!?」
男はニヤリと笑うと、高橋の双眸を見据えながら、
「技ありィ~」
とのたまった。
◇
高橋は朦朧とする意識の中をうつろいながら、
男が携帯で呼びつけたバンのナンバーを認識しようと必死だった。
(湾岸…み…いや…)
(ろ…?)
恐らく自分は拉致されるのだろう。
どこかに連れていかれて、その後拷問でもされるのだろうか。
(菜由美…)
高橋は瞼の重みに耐えられず、とうとう意識を喪った。
「よォし、オマエソッチ持て。」
男は運転手と高橋をバンに運び込もうとしていると、重量がやけに重く感じる。
「オイ!もっとリキいれろや!こちとら”使った”あとだから疲れてンだよ!」
男が足先を蹴ると―
運転手はそのまま崩れ落ちた。
「あ?」
男が下を向くと、運転手が被っていた帽子が頭からこぼれおち、
その額には、孔が開いていた。
「なッ…!?」
男は直ぐさま後ろへ飛び退くと、寸の間を置きバンの搬入ドアに風穴が開く。
気配を背中に感じて振り向くと――
20mほど先には、杖をついた元谷が立っていた。
元谷の顔はほとんど見えなかったが、彼は男へ向かって声を張ってこう問うた。
「オヤオヤオヤオヤオヤオヤオヤ」
「こォ~んな夜更けになァ~にをしているんですかァ?」
元谷が数歩踏み出すと、街灯の元に貌が曝される。
「ウチは原則19時までなので―」
その双眸はまるで―
「深夜料金を頂戴しますよ」
狩人のように、鋭く光っていた。
第五話 「対価」 -終-
第六話⇩