病んでるヤブ医者元谷さん #6 「分割」
元谷はゆっくりを歩を進めながら、男に向かって話し続ける。
「そちらはウチの患者でしてねえ」
「セカンドオピニオンでしたら、連携窓口にアポイントを通してもらいませんと」
男は横目で傍に倒れている運転手の亡骸をちらと見ると、額の孔から少しずつ血が流れ出して行っており、道端のグレーチングに吸い込まれていく。
ぽたり、ぽたりと音を立てる血液の音に合わせて、元谷もゆっくりと歩を進める。
男は、あっという間に状況が変化してしまったのにもかかわらず、それに相反してこの瞬間を、体感にして数十分にも感じていた。
男は、昔から頭が回るタイプではなかった。
小難しい事情も、自らに降りかかる難題も、なるべくシンプルに考えるように生きてきた。
ムカツけば道端の男を殴ればいいし、
ムラツけば女を攫って抱けばいい。
金が無くなれば、「あの男」の言う通りにしていれば不自由はしない。
男は、自由だった。
彼にとって、思った通りに物事が進まない事など生まれてこの方1度としてなかった。
今、この瞬間までは。
「オイ!!!」
まずは大声を出す。
大体はこれで、相手が竦む。
「テメェどこのモンだコラ!!チャカ持ってんなら…このヘンなら奉波組か?!」
ざつ、ざつ。
元谷は口を閉じて足取りを進め続ける。
男の耳先に生暖かい風が吹き抜ける。
不吉、とも取れる兆候に、額は汗を滲ませる。
「コッチはなにもコイツを殺そうってんじゃねえ、ただビジネスのオハナシをしてもらうためにご同行願ってるダケよ」
ざつ、ざつ、ざつ。
「きいてッかオイ!!!!」
びぃん、と己の鼓膜が鳴る。
それでも、本谷は進んでくる。
ここで男は、シンプルに考えることにした。
(なんて、らしくねェことをしているんだ、おれは)
(切り替えろ、コイツは邪魔だ)
(問題は、高橋浩介を生きたまま「あそこ」に連れて行くこと…)
瞬間。
男は、目を疑った。
(バカな…!?)
フェンタニルやモルヒネ等を配合した麻痺毒を塗布されたナイフで幾度も斬りつけたにも関わらず―。
常人であれば、数時間は痺れから動くことすらできないはずであるにも関わらず―。
高橋浩介は、起き上がろうとしていたのだ。
◇
この状況下において、狼狽の波紋は男だけではなく、元谷にも拡がっていた。
「鴉」によって、高橋浩介が拉致されようとしている旨は聴いてはいたものの、先程までぴくりとも動かなかったのが、急に起き上がろうとしていることに違和感を感じずにはいられなかった。
また、身体の外傷の様子から見ても、通常であれば大きく出血しているはずが、裂傷からは僅かしか出血していなかった。
先ずは、高橋の状況を把握したい所ではあるが、この距離で会話すれば、敵にも知られかねない。
敵の目的が高橋の排除なのか、拉致なのか――。
それすらわからない今、迂闊に動くのは危険だと判断した元谷は、「間合い」まで均等のペースをもってして歩を進める。
それが、敵の意識を逸らしながら精神的にも戦術的にもアドバンテージを獲得し続けられると確信していたから―――。
もし敵が高橋を排除、あるいは拉致しようとしているのなら、この所作に対して狼狽した後に取る行動としては、再度武力を持って彼を再起不能にすることだろう。
傍にバンがあることから、行動不能の彼を拿捕した後、
排除、拉致どちらにしても、どこか人目の付かない場所で拷問や尋問を行った後、アシが付かないように始末する―。
であれば、この状況で必須な条件としては、2つ。
1つは、敵の排除。
これは、2つ目の条件をクリアしていれば容易い。
2つ目は、高橋が自力で退避できるだけの行動力が残っていること。
これは、高橋を人質に取られてしまったり、元谷が介入したことにより計画を前倒しにして、即座に排除する方針に転換されるリスクがあることに起因する。
これらの条件を確認しながら、敵を行動不能にするために間合いを詰め続ければ、それだけ彼の生存確率も上がっていく。
元谷は、そう考えながら、35番の杖をついて一定のペースで歩を進めていた。
いつでも止まることができ、なおかつ敵に焦燥感を与え、状況判断力を鈍らせるために。
いざという時は―。
右足の義足に力をわずかに込めると、神経に鈍い痛みが走った。
◇
高橋は、幼い頃から父親の折檻を受け続ける生活の中で、
己の身体が特異な体質に変化していることをある日から気づいていた。
それは、『痛みを任意の細かさに分割して感受することができる』というものであった。
例えるならば、常人は50%の痛みを『50の痛み』として受容して、悶えたりショック反応を引き起こすようになるが、
高橋の場合、50%の痛みを『0.01~50の痛み』として自在に『分割できる』ようになっていたのだった。
もちろん、痛みは『0にすることができない』ため、今まで受けた痛みはまるでクレジットカードのリボ払いのように後へ、後へと続いて高橋の身体を常に刺激し続ける。
高橋は、先の戦闘において、痛みを感じていなかったのではなく、
『動けなくならないように分割して痛みを受けていた』のだった。
そして、これは意識がわずかでも残っていれば、『後から分割することも可能』であり、
麻痺毒についても、これを用いて行動可能な状態まで分割し続け、ようやく動くことができるようになった。
(”後払い”は…なんとかできた―)
(まだ…動ける―)
(元谷先生を守らなければ)
(そもそもなぜここに)
(こちらを心配して来てくれたんだろう)
(運転手の男はなにかに撃たれて死んでいる)
(第三者)
(どこに)
(元谷先生と永井さんの安全を確保して、彼らの目的を聞き出すためには)
(”使う”しか、ない―。)
◇
高橋は、当時中学生だったある日、体育の教諭から呼び出されていた。
「高橋、この前の体力測定の結果なんだけどなァ」
「オマエ、国体出れるぞ!見てみろよ、このスコア!」
「ありがとうございます、先生。でも自分は」
「警察官、だろ?それなら確実に近道じゃねえかよ。」
「ちがうんです」
「うん?」
「先生は、僕が普段の体育の授業で、普通くらいの活躍しかしていないこと、わかってくれているはずです」
「そりゃわかってるよォ、それはアレだろ?周りのカオを立てようと…」
「ちょっと…違うんです。」
「うーん?」
教諭は首を傾げながら高橋の顔を横目で見やった。
(そういえば…顔の傷、いつもに増して…)
「とにかく」
「僕はいいんです、たぶんマグレだったんですよ。」
「普通に勉強して、普通に警察学校に入りますから。」
「それなら…それでいいんだけどよ」
半ば強引に立ち上がり、教諭室から出ようとすると、高橋の腕に目が行く。
すると教諭は、目を疑った―。
(アレが…中学生の腕…!?)
(でも…さっきまで…!?)
◇
高橋はよろりと立ち上がると、奥歯と丹田、そして両の脚にうんと力を込めて、目をくっと見開く。
そして次の瞬間。
彼は、その場から忽然と、姿を消した。
「なッ…!?」
(ふむ?)
ナイフの男が周囲を見回している数秒の間に、
高橋は元谷の後ろに永井を肩に抱えて立っていた。
たった、10秒にも満たない間に――。
「ははっ」
「ハハハハハハハァーーーーッ!!!!!!」
ナイフの男は狂気じみた笑い声をあげる。
状況は分からない。
なぜこうなったのかもわからない。
だが、それでもよかった。
今日起こったことは、今までの人生の中では味わえなかったスリルであり、
「目的を達成するための障害に立ち向かう」ことが、
彼にとっての初めての感情でもあったためか。
彼は、狂喜していたのだ。
「おもしれェーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!」
「大丈夫ですか、高橋さん!?」
元谷は、少し狼狽しながらも、高橋に向かって発する。
「ええ、まだ動けます!元谷さんは早くここから…」
思ってもみない答えが反ってきて、元谷は少し安心する。
(こんな状況でも他人の心配、ですか)
不敵な笑みをわずかに浮かべると、元谷は35番の杖をサーベルのように持ち、
「私は大丈夫です。」
「あなたは、彼を無力化して話を聞きたい。これで相違ないですか」
「えっ?」
「相違、ないですか?」
元谷は念押ししてくるように語り掛けてくる。
高橋は、永井を地面に寝かせると、決意のまなざしを男に向ける。
「ハイ…間違いありません」
「アイツを止めます。」
「それなら…」
元谷は杖の先を握ると、ゆっくりと下へ動かしていく。
すると、杖だったはずの木材は次第に、刀身の鞘のようにするりするりと抜けていき―。
刃が、街灯に照らされて鋭く光を放った。
「いいお薬があるんです」
それを見た高橋は、ほんの少しだけ驚いた。
これは彼の能力に起因するところで、
現在の彼の脳内には、アドレナリンが駆けまわっていたため、
些事に過ぎないと彼のニューロンは識別していた。
「詳しいことは後で言いますが、オレは痛みを感じません。」
「ですけど彼は投げても無力化できませんでした。」
「力を、貸してもらえますか」
「ええ―もちろんですとも。」
ナイフの男は目を見開いた満面の笑みを浮かべながら、
クラウチングスタートの体制を取り、
ズボンの大腿部にあたる場所は、はちきれんばかりに膨らんでいた。
第六話 「分割」 -終-