前世は飯場の飯炊きおばちゃん
私の母は ご飯を作るのが好きだし上手だ。
いつも大量の食事を作る。
食べきれないほどのごちそうに 私のこどもたちはいつも圧倒されていた。
そんな母のことを父は こいつはきっと前世では飯場の飯炊きをしてたんだろうよ などと言って揶揄していた。
実家の冷蔵庫はとても小さく あの小さい冷蔵庫から どうやればあんなにたくさんのごちそうがつくられるのか不思議だった。
私のこどもたちにとって良い思い出だった 母の作ってくれる食事だが、私には荷が重かった。私は非常に食が細く、ボリュームのある献立は食指が動かない質だったため、実家での食事は緊張していることが多かった。食事を残すことは悪とされていた時代の名残だろうか、出されたものを残すのが気まずいと感じる人は 私以外にも割と多いように感じる。
私が高校生だった3年間も 母は欠かさずお弁当を作ってくれた。
見た目にも美しく 味もおいしく作ってくれていた母のお弁当は 私の友達からも賞賛されていた。
母の作ってくれていたお弁当は 私の誇りでもあったし 自慢でもあり 目標でもありました。
でも そもそも 食が細く お弁当箱という限られたスペースのみに詰められた量であればおいしく食べることができたという背景も有り、母と同じベクトルで料理をするのは、無理があることに最近やっと気が付きました。
料理道具についても 私と母では すでに持っている道具や 必要とされる道具の傾向も全く違うものだということにも 最近やっと気が付きました。(母親に自分の料理道具を批判されて 悲しくなった経験のある人も割と多い気がする)
そんな気付きも有って もう一度料理をやり直そうと思い 本屋さんで気に入った料理本を数冊買いこみ、何事も正確にやった方が良いだろうという気持ちから計量カップも買い(結構な出費でした)本を見ながら、数品作ってみました。
高野豆腐の煮物
大根の煮物
煮豚
里芋の煮物
肉豆腐
手前味噌な話というか 本が優秀なお陰というか つくってみた結果ですがどれもおいしくできて 一心地が付きました。
そして 私は 料理が苦手なのではなく、自分が食べたいものを作ってこなかっただけなのだなあ ということに気が付いたのです。
余談ですが OXSOの計量カップは めちゃくちゃ使いやすいです。(もっと早く買えばよかった。)
私と母は別の人間だから、母と同じように料理が出来ないからと言って、気に病む必要は無いのだ。母は飯場の飯炊きおばちゃんよろしくボリューム派だが、私は消化の良さ重視派である。
料理って 生き方というか 物事の考え方が反映されてしまうものなのかもしれない。1日に3度も作らなければならないので 慌ただしく やっつけで作ってしまいがちですが 食べたいものを作るという 基本的な姿勢を忘れないようにしていこうと思う。