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根回しの必要性

途中まで書いて投稿していない記事が複数あるなかで、気にせずに新しい記事を書き、久しぶりに投稿してみようと思って書き始めたが、書き終わるのかわからない。さて、どうなるのか。

この記事を書くきっかけ

最近あった何かに対するコメントを見て、根回しは良くないんだ!みたいなコメントを多々見たことがきっかけ。

おそらく、”根回し”が何を指しているのかという認識の違いがあるのかなぁという気がする部分もあるので、そういったところも書いていこうと思っています。

狭義の根回しと広義の根回し

「会議等の前に事前に”密室”で決定した上で会議をし、議論することなく議決するような状況が良くない」というようなコメントを見かけました。報告の性質が強い会議もあるので(そんなものは会議ではないと言う人もいるでしょうが)、事前に決定することを全て悪いと言う気はないですが、議論する場であるならば事前決定は良くないことと言えるかと思います。

が、個人的には「事前に決定する」ことは狭義の根回しであり、それ以外の根回しもあるのではないかと思っています。単に言い方の問題だけといえるかもしれませんが、根回しは悪だということで「事前決定以外」も含めた広義の根回しを一切行わない人のことを厄介だなと思ったことがあるので、そんなエピソードに関しても述べたいと思います。

広義の根回し

会議の内容次第ですが、思いついたことをただ提案するのが会議ではありません。事前に実現可能性を検討したり、メリット・デメリットの洗い出しをした上で提案する必要があります。そのためには他部署の実務者と相談をしたり、実務者で判断できない場合は他部署の責任者と話をする必要もあるでしょう。その過程で実質的に決定してしまうような場合もあるかもしれませんが、このような行為も広義の根回しの一つだと思っています。

「実際に実行する際に関わる人達への報連相」とでも言うような性質が広義の根回しにはあるかと思います。

広義の根回しの必要性

「〇〇を行います!」という宣言が会議で出ました。最終的に賛成するか反対するかを決めるに当たり、様々なことを検討する必要があるでしょう。賛否を判断するに当たり、他部署の協力が不可欠であるとの考えに至りました。そしてあなたは提案者に訪ねます。「あなただけでは実現不可能であり、△△部の参加が必要だと思うのですが?」

会議の性質次第ですが、ブレストのような会議では他部署の事前同意がなくてもいいかもしれません。提案者としても他部署との検討を進める許可をもらうのがゴールなのかもしれません。しかし、最終的な決定を出す場合には事前に他部署との合意を得ていないと、良くて継続審議、悪いと廃案ということになるでしょう。また、大局的な判断をする会議にも関わらず、そもそも提案が成り立つのかどうかを審議するということになり、無駄な時間を過ごすことになります。

これを根回しというのかどうかは個々人の判断によるかもしれませんが、このような行為は必要な場面があると考えます。

根回しをしないことの弊害

これは私が実際に体験した弊害です。広義の根回し的なものが事前に行われていれば、もっと有意義な会議ができたんだろうなと思っています。

会議の場である事柄についての今後の取り組み方針が発表されました。決定事項であれば組織の一員としてそれに従うだけではありますが、実際に実行するに当たりデメリットも考えられ、その旨を述べました。すると提案者は私に求めるのです、対案を。

これは自分の提案を押し通すための戦略なのかもしれませんが、急に出てきた案に対してメリットとデメリットを述べることはできても、そもそも過去に検討していないことに対して対案をその場で出すことは不可能です。出せたとしても、ツッコミどころ満載のものになる可能性は目に見えています。

しっかりと事前に磨き上げた刀剣を振り上げて丸腰の人に襲いかかり、このままでは不公平だからお前も武器を持てといい、道端にある木の棒を握らせるようなものです。

事前に内容を説明し、しっかりと案を考える時間を確保したのであれば対案をその場で求めてもいいのかもしれませんが、急に出てきた案件に対しては流石に厳しいですよね。

最後に

どこまでの範囲が根回しで、どの根回しが許され、どの根回しが良くないのかは、時と場合によって大きく変わるかとは思います。が、実は実務者がないがしろにされないための方法の一つが根回しなのかなぁという気もしています。物事を決定するのに、その場だけで決めることが出来るということがどれほどあるのでしょうか。部署全体を統括している責任者と言っても、末端のことまで全て把握しているわけではありません。末端まで含めた議論を行うのであれば、やり取りを何度か繰り返す必要があるはずです。そのやり取りを全て会議という場で行うのか、それとも各自が自主的に必要な範囲で話すのかを比較すると、後者のほうが現実的ではないでしょうか。

関わるべき人が関わってない事態が発生してしまっては困りますが、時と場合に応じた良き根回しライフをみなさんもどうぞ!w

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