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英語ができると見えてくる世界
今回、ヨーロッパ旅行のために英語学習を始めたが、
実はここまで本格的に勉強するつもりはなかった。
英語ができないなりに定型フレーズは話せるし、
今は手軽に使える翻訳機もある。
このままでもなんとかなる。
そう、きっとなんとかはなる。
でもこのままでは面白くないことに気づいてしまった。
この記事は、初心を記した備忘録&決意表明です。
長文のため目次からお好きな部分だけどうぞ。
▶︎英語ができる友人
本気で英語学習を始めたきっかけは、英語を日常的に使う友人の存在。
社内の公用語は英語、ワーホリ経験もあり実用英会話は全く問題ない。
ある日、友人とカフェに行くと英語で定員さんに声をかけている女性がいた。
日本語ができない様子で困っているところを、友人が英語を使って助けていた。
(英語ができるって人助けになるのか。)
その女性と少し会話を続けると話が弾んだようで相席することになった。
▶︎屈辱な出会い
ポーランドから仕事の関係で来日した彼女は、
数ヶ月〜数年単位で世界各国を巡る生活をしているらしい。(私が聞き取れた情報)
彼女の英語はとにかく速い。高速。
今まで聞いた事がない、レベチで速い。
本当に英語を話しているのか?と疑いたくなるほどほぼ聞き取れなかった。
友人も早すぎて聞き取れなかったと言っていたが70%は理解できたようで
彼女のスピードに合わせて会話が続いていた。
全く聞き取れない私は、なんとなくのタイミングで頷くことしかできず、
彼女から何度か話を振られたが、答えられるモノがない。
英語力も、人間力もない。
なにもない。
完全に部外者と化した私の目には、
2人が公園で高速キャッチボール楽しむ帰宅部のように見えた。
要は青春を謳歌してるように見えたのだ。
青春の1ページに入れない自分が情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて。
同じ空間にいるはずなのに、同じくその人の経験・考えを知る機会があるのに
私はそのチャンスを逃したのだ。
英語ができないから。
同時に、その人の貴重な時間をもらって、私は何も与えられていない。
時間泥棒だ。本当にごめんなさい。
私の時間も無駄にしているし、なんて勿体無いんだ。
人生損しすぎじゃない?
▶︎完璧な英語って?
日本人はなぜか
“完璧でなければ英語を話せる“
と豪語してはいけない風潮にあるが、
ある程度の意味が通じる会話ができる、意思疎通ができるレベルであれば
“英語ができる“ と自信を持っていいのではないだろうか。
私の韓国語レベル(日常会話、買い物ができる程度)でも
側から見たら“韓国語話せるんですね!すごい!“と言われるのに。
どうして英語だけ、みんなの理想が高いんだろう。
私も含めて。
“完璧でないと話してはいけない“
本当は、英語から逃げる理由を作ってるだけかもしれない。
この言葉をみんながお互いに言い聞かせて。
▶︎ただただ楽しみたい
今回のヨーロッパの目的は2つ
“知らない世界に出会う“ “自分を取り戻す“
当初想定していたこの意味は、
ヨーロッパの街並み、建造物から、歴史、文化、日本とは異なる自然の景色に直接触れ何かを感じたい。
何かを感じた先に、自分の琴線に触れるものが何なのか、なぜ触れたのかを紐解いきながら、自分という存在を見つめ直したかった。
確かに現地で触れて感じられることは多いだろう。
それ以上に、現地で生活している人と出会うことで
その価値観が生まれた背景を知ることもできるのではないか?
同時に自分が何者か言葉で説明する必要がある。
自分について旅先で考えるより先、旅立つ前に一度整理することで
その変化を実感しやすいかもしれない。
高速でなくていい。いろんな人とキャッチボールがしたい。
そのために、投げ方を練習しないと。
グローブの使い方も学んで、取りこぼさないようにしたい。
今できる精一杯の投球で、世界中の人と会話のキャッチボールを楽しみたい。
これが今の私の目標。