「本人」も、「きょうだい」も、「お母さん」も、
旅先の浜松で娘と合流して、みんなで帰宅しました。娘の帰宅はゴールデンウィーク以来です。会社員3年目の夏休みであります。
昨年はコロナ禍での海外出張で、極度の緊張を強いられていました。帰国してからも精神的に辛かったようです。そこへ新年度の部署替えなどもあり、始終ストレスに苛まれていたようです。電話の内容は体調不良の話ばかりでした。
そもそも私の両親は公務員でしたし、私も病院や施設で働いてきたので、会社勤めについては、よく知りません。おまけに娘は理系なので、知らないことばかりです。
娘の就活の頃は、娘の話を理解するために、経済関係や目指す業界の本も読みました。それでも「分かってないくせに!」と八つ当たりされました。
新しい環境に慣れるのに、3年は必要なのかもしれません。昔の人は「石の上にも3年」とかよく言ってましたね。しかしながら平穏な3年と違い、コロナ禍で新人研修もリモートで、海外出張があったり、資格試験があったりと、聞いていると随分ハードな社会人生活だったようです。
学生時代の娘は知的障害のある息子のことで衝突することもありました。しかし放課後ディサービスのアルバイトに応募し、子どもたちのお世話を経験したことで、息子とのやりとりに変化がありました。その上で、就職して距離を置くことになり、より息子を客観的に見れるようになったようでした。
大人になるってこういうことなのかもしれません。年々、娘を頼もしく感じます。
娘は将来的に息子のことを頼まざるをえないことも覚悟してくれているようです。法律上、家族なのでこれは、どうしようもないようです。しかしできる限り娘が自由に生きれるように、早い時期から息子にショートステイの訓練をしたり、福祉制度を利用し、息子のケアを家族だけで行わないようにしてきました。
だからこそ娘とも私亡きあとについての話をしています。
いつも親も子も適度な距離を保ちながら、それぞれの生活を楽しんでいけるように心がけています。障害者本人だけでなく、障害者のきょうだいにも配慮するように気を配ってきました。ずっと自由にやりたいことして生きてきた私ですが、子ども達が生まれてから、ずいぶんその生き方が変わったようです。
こうして私も少しずつ大人になっているのかもしれません。
「本人」も、「きょうだい」も、「お母さん」も「家族」ってホントたいへんですね。こんなことを考えながら、今日も家族で夏休みの時間を過ごしています。