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なにも失ったものはなかった。
40代になってから失ったものを数えてみました。
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夫を亡くしましたが、たくさんの友だちが出来ました。社会制度にも救われました。
仕事は失いましたが、時間が出来たので念願だった大学に編入し、その後大学院まで駒を進めることができました。
現在、無収入ですが相談室でこれまでの知識や知見が役に大いに立っています。無理のない範囲で社会との接点を持つことができています。
収入はなくなりましたが、空いた時間で苦手だった家事も本を見ながら挑戦し、出来ることが増えました。なにより断捨離と徹底的な家計の見直しをする機会になりました。
こうして身の丈にあった暮らしを整えることが出来ました。
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仕事を失いましたが、代わりに時間を得て、学ぶことが出来たのです。そして社会の仕組みを知ることの大切さを知りました。
それまで「私には関係ない」と無関心だった政治や経済も国際問題も全てが、私に繋がっていることに気が付いたのです。
私は失ったものに対して代わりのもの、いやむしろそれ以上の大切なものを得ていました。
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かつての私は家と職場の中でした生きていませんでした。仕事や家庭の不満を口にしていました。毎日、出来ないことを数えていました。イライラして焦り、無駄に忙しくしていた過去なんて懐かしむことはありません。自分勝手で無知で視野の狭かった私なんてもう忘れてしまいました。
明日、生命が終わるかもしれないことを知り、いまどう生きるか、残された時間に対し真剣に考えるようになりました。
そして娘や息子のような若い世代が暮らしやすい世の中になるように頑張りたいと思うようになりました。
だから毎日忙しいのです。
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結局、失ったものなど何一つありませんでした。
私が籠の中に閉じこもっていただけだったのです。
見ようとしなかっただけ、聞こうとしなかっただけ、知ろうとしなかっただけ
自ら飛ぼうとしなかっただけなのです。
わたしは生まれた時からずっと自由だったのです。