息子と私は「運がいい」
息子
息子は生後2日目で、口蓋(口の中の天井部分)がポッカリと開いていて、ミルクが飲めなさすぎることで、発見されました。ミルクが欲しくての、飲めなくて、とにかく飢えて飲みたくて頑張るから、どどっと疲れている赤ちゃんでした。
呼吸はよく止まるし、体重も増えません。青白くて死にそうでした。
そこでせめて運のいい名前にしようと、夫が姓名判断ソフトで3日間かけて名前をつけました。それが良かったのか、なんとなくヤブ医者を避けたり、日曜の朝に呼吸が止まったと思ったら、主治医がなんとなく病院に来ていたりとタイミングが異常によいのです。
1年後難しい手術をした医者は
「わし手術うまいやろ。この子、10年前やったら死んでたで、綱渡りやったで」
と自画自賛するオモロいおっちゃんドクターでした。後で知ったのは彼は、日本有数の名医でした。本屋で立ち読みしたら、すべての医療メンバーが紹介されていたり、言語療法の先生は、すごい賞をもらったと新聞で読みました。
小学校に入学し大学院で心理学を学び支援教育に燃えた新人の先生と出会いました。担任していただいた4年間、まさにアニー・サリバンのような方でした。夫が亡くなった時の子どもたちの担任は、優秀なベテラン教員で、まさにベストメンバーの布陣。ずいぶんサポートしていただきました。
福祉サービスを導入するときは、元保育園の先生が事業所に転職されていて、事業所を紹介してくれました。全てがとんとん拍子、行く先々で知り合いに会います。このあたりから、「もしかして息子は運がいいのかもしれない。」と思うようになりました。ところが、私もむちゃくちゃ運がいいのです。
私
ちなみに私の姓名判断はイマイチですし、40歳まで、学校を幾つも不合格になるし、職場も最悪だし、人間関係につまずき鬱になるやら、子どもは障がいがあるし、夫は急死するし、借金見つかるし・・・最悪としかいいようがない人生でした。
ところが夫が亡くなって、しばらくして私を取り囲んでいた、四方の壁がパタンと倒れて、両手を天に広げるようなイメージが浮かんだのです。実は何度か私の運が夫に吸い取られているようなイメージがあったのですが、それがまったく無くなりました。
それを自覚したのは、この出来事があったからでした。ある日、夫の事後処理での困りごとがあって悩んでいました。電車の中で、だれか助けてと心の中で叫んだら、次の停車駅で友人が乗ってきて、「大変だと聞いてましたが、大丈夫でしたか。私にできることならなんでも言ってください。」と声をかけてくれたのでした。この友人のおかげで1つ問題が片付きました。それからそのときベストな人と出会うし、同時に嫌な人は消えていくのです。
ものは考えよう
なにをもって運が良いというのか。これはタイミングと出会いなんです。これまで自覚がなかっただけだったのでしょう。ここにこうして生きているのも運がいいのです。よく見ると小さな幸運はあちこちにありました。この世は幸運に満ちているのです。それに気がついたとたん私も息子も、運のいい人間になりました。
すこし疲れがでて、落ち込み気味の連休明けでしたが、友人が「近くに行くから寄るわ」と連絡が来ました。会えるのが楽しみです。大学の友人から、温泉旅行に誘われました。知的障害者の息子が一人で温泉に入れないと話したら、ご主人を動員してくれるそようになりました。大きなお風呂に入りたい息子は大喜びでしょう。ありがたいな。
こういうのを全部ひっくるめて、息子も私も運がいい!と思います。考え方しだいなので、お得です。さあ久しぶりの晴れの日です。午後から友人とお散歩に出かけます。