ある日「プツン」と。
私は実家の齢80になる母を週に1回、訪ねます。両親は夫婦2人暮らしですが、父は始終、外に出歩いています。
母には数年前からタブレット端末、スマホを教えてきたので、YouTubeやネットニュースを楽しんでいます。母が好む本を差し入れます。毎日の新聞も切り抜いたりアンダーラインを引き丹念に読んでいるようです。そんな私は毎回、興味を持つのではないかと、新しいアプリを紹介したり、ラジオでの英会話の勉強方法を知らせたりと、毎回新しい話題に触れさせるようにしていました。
ところがある日
「毎日、ネッをト見て、新聞を読んで、本を読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎる。テレビの懐かしの洋画も見たいし、ラジオも聞きたいし、習字も再開したいし、もう忙しい。やることがいっぱいで脳みそがパンパンになっている。」 母は叫びました。
することがたくさんあることは良いのですが、いずれも一方通行のテーマです。もしやインプットのし過ぎではないか。母はアウトプットする場がないのかもしれないと考えました。いま母に直接お話しできる人はいるのでしょうか。
年代的に無料通話アプリで交流できる人は数人だけです。固定電話にかかってくる電話の内容は、ネガティブな家族の悪口とお金の話をする人が圧倒的です。コロナ禍で直接に交流するご近所さんは激減しました。時おり病気になる人、亡くなる人の話が耳に入ります。
同居している父は不在がちです。家にいるとパソコンを見ているか、時代劇チャンネルを眺めながら、うたた寝しています。孫たちは、受験、仕事で会うこともままなりません。
コロナの流行が始まって、ずっとこんな生活をしていたんだ。急激な変化のストレスが無意識に積み重なっているのかもしれない。時々、想像を絶する事件が起きていますが、ストレスは知らず知らず積み重ねて、いろいろな形で表出するのかもしれないのだなぁと考えました。人ごとじゃないわ。
異常事態も長く続くと、それが「平常」になる。
あな恐ろしや・・・
母の対応策を考えると同時に、私自身の事も振り返ったほうがいいな。ある日「プツン」と糸が切れてしまわないように。そんなことを考えた午後のことでした。