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 「諦め」は執着を手放すこと。

息子は知的障害とともに手指動作が苦手で、小学校卒業まで、作業療法の訓練をしてきました。
中学に入学してからは、放課後ディサービスとガイドヘルパーとの外出時に、目標設定を行なってきました。

第2次成長期への対策として、ヘルパーさんと銭湯に行き、入浴場面での、洗体、洗髪、髭剃りなどを、手伝ってもらいながら訓練してきました。誰にでもお世話になれるように、ヘルパーさんは固定を希望せずに対応してもらっていました。

そこで「タオルを絞る」ことを練習してきました。残念ながらガイドヘルパーは、特に共通した支援計画が立てられていないので、その対応も方法も、ガイドヘルパーさん個々によるものでした。

ある時から、70歳近いベテランのヘルパーさんが担当することが多くなってきました。彼はこういう道具があったほうがいいなど、支援について意見交換をよくしていました。

「お母さん、もうタオルを絞れなくてもいいんじゃないですかね。ナイロンタオルの方が、泡立ちやすいし彼が扱いやすいよ。タオルを絞れなくても困ることはないんじゃないかな。」

ヘルパーさんのこの言葉は、大きな気づきになりました。身体に不自由のない私たちは、タオルが絞れて当たり前です。
だから息子がタオルを絞れるようになるのは、健常に近づくための訓練だと無意識に思い込んで、訓練を強いてきたのは、私でした。

「もうタオルを絞る訓練はやめましょう」と即断しました。私自身のこだわりを手放すことで、息子はお風呂の時間を存分に楽しめるようになったようです。

「彼は身体を上手に洗えますよ。頭はちょっと洗い残しがあるけど、こちらでフォローしてます。言いたい言葉は、曇りガラスに字を書いてお話ししてくれますよ。」
「最初はね、挨拶もせんのか!と変な目で見られてたけど、おっちゃんらとは顔見知りになってますよ。銭湯は彼なりのコミュニティになってますね。」

銭湯での息子は、ずいぶんと成長していました。週に1度の銭湯を何より楽しみにしていました息子でしたが、コロナの流行で、銭湯に行けなくなりました。そのまま小さな銭湯は店を閉めてしまいました。

大きなお風呂に入りたい息子は、現在ショートステイの施設の大きめのお風呂を楽しんでいます。先日は友人のご主人が、温泉に一緒に入ってくれました。
もちろんベテランヘルパーさんから、息子の入浴時の注意点や見守りのポイントなどのアドバイスを伝えていました。

「ちゃんと自分で洗っているし、満足そうでしたよ。また一緒に行こうね」
と嬉しい言葉をいただきました。

ヘルパーさんとは、一緒に過ごした銭湯の時間は、いまは散歩の時間になりましたが、おかげさまで息子はいまも楽しい時間を過ごしています。

「諦め」は、私自身の執着を手放すことだったようです。人は20歳を超えると、成長も緩やかになります。息子なりにゆっくりと出来ることが増えていけば、それでいいのだと思いました。



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