過去は変えることができる。
息子は知的障がい者で、健常な人の歩む人生を送ることはできない・・・私が、この現実を受け入れるのに10年の時間が必要でした。
それは私自身の人生の予想図を大きく変更しなければならないことでした。一生働くことができると看護師資格を取りましたが、働き続けることは難しくなりました。専門職でシャカリキに働く両親を見て育ったので、仕事を辞めて育児に専念することが、受け入れられませんでした。
でもこのこだわりが、私自身の「エゴ」「執着」だったのです。
夫が亡くなってから多額の借金が発覚しました。13日目に家庭裁判所で相続放棄の手続きをしました。30日目に姻族関係終了届を提出しました。そして49日の法事の終了後に、遺骨も遺影も夫の実家に置いてきました。夫の荷物を全て捨て、リサイクルショップで売り飛ばして処分しました。そして仕事を辞めて引っ越しました。
ただひたすら、これから子どもたちと生きていくために動き続けていました。夫の死を悲しむこともなく、憎しみが原動力なっていたのを自覚していました。死者を忘れることが本当の死だと思うので、ほぼ夫の記憶はないです。これが夫に対する、ささやかな復讐かもしれません。
物も思い出も捨てました。離れていった「人」もいましたが、たくさんの「人」が残ってくれました。いまも子どもたち、両親、友だちが、私を支えてくれています。私にとって「人」が1番の宝だったのです。
夫へは憎悪も消えました。むしろ夫に感謝しています。この一連の出来事が、自分の人生を取り戻すきっかけになったからです。憎しみから感謝へと、過去を書き換えることが出来ました。これは私が生きていればこその変化です。
むかし私が、思い描いた人生は生きてないけど、思い描く以上に面白い人生を生きています。息子は健常者と比較したら、出来ないことばかりです。ある日、健常者になることが目標ではないと開き直ると、同時にせっかく生まれて来たのだから、彼なりに人生を楽しめばいいと思うことが出来ました。悩んだり絶望した日々の先には、ちゃんと未来がありました。
いまをどう考えるかで、過去は書き換えることができます。それによって未来も大きく変わっていくのです。だから今日も生きていこうと思います。生きていればこそ、過去も未来も変わっていくのです。