生きてきた足跡
母から先祖の足跡を探したいとの希望で、ここしばらく捜索しています。
1899年曾祖父母は夫婦でハワイへ移民に行きますが、その後、離婚し曽祖母は幼い2人の娘を連れて帰国します。その娘の1人が私の祖母でした。
1873年(明治6年)生まれの曽祖父のアメリカでの記録がありました。
『入牢記録1942年ワイオミング州パーク群ハートマウンテン移住センター』
これを見つけた時には、犯罪者か!?とビビりましたが、当時のハートマウンテン移住センターは、日系人の強制収容所キャンプでした。おそらく戦争の影響で収容されたのでしょう。入牢後、短い期間で死亡記録も見つかりました。市井の人の生きた記録が残されていることに、感慨深いものがありました。
そういえば祖母が生前、「なにもしなくていいよ。時々思い出してくれたらそれでいい。」と何度も言っていたそうです。
「肉体の死と、自分を記憶してくれている人が亡くなった時に、本当の死が訪れるということだよ。」と当時子どもだった私に母が解説してくれました。
祖母は幼いとき若い両親に連れられて、ハワイへの移民と帰国を経験していました。そのまま別れた父はカリフォルニア州に渡りました。そのまま1度も会わないままの親子だったようです。
私は、自分が死んだら、みんな忘れてくれたらいいと思っていました。お墓も要らないし、身の回りのものも最小限に処分しています。
でも私がいま生きているということが、私という存在を、誰かの記憶の中に刻みつけているのだと思いました。
おりしもTwitterで古い写真をカラー化する企画を知りました。早速母の看護学校の卒業式に広島県からやってきた両親と母との写真を応募しました。モノクロの顔しか知らない祖父母の顔をどうしてもカラーで見たかったからです。
いま足取りを追っている明治初期に生まれた曽祖父母の顔は、おそらく見ることはできないでしょう。しかし当時のパスポートの複製を探すことができるそうなので、もう少し捜索を続けてみようと思います。おそらく写真ではなく、人相がきのような旅券だと思いますが、その横顔を知ることはできると思います。
曽祖父のアメリカでの居住地の1つにロサンゼルスがありました。ここは私が初めての海外で訪れた場所でした。少し不思議な気分になりました。
11歳のとき飛行機からみた西海岸。空港に降り立ったときに、肺がバリっと音を立てたような気がした乾燥した空気。青くて高い空を見上げた私でした。曽祖父もそのような空気と空を感じたのでしょうか。もう少し曽祖父の足取りを追ってみようと思います。
さて今日も暑くなるから
早めに息子のバナナを買いに行きます。