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親は「義務と責任」果たしながら、子を「諦め」「受け入れる」・・・

金曜の朝、iPadを見ていた息子が、漫画の原画展の見つけて「これに行きたい」と訴えて来ました。ちょうど土曜日にガイドヘルパーさんとの外出が予定されていました。原画展の会期は月曜日までです。

1度こだわりを持つと代替え案を受け入れることは難しい息子です。甘やかし過ぎかもしれませんが、ガイドヘルパーさんを困らせないように、できる限り配慮しなければなりません。

息子が事業所に出かけた後に、ガイドさんの事業所に行き先の変更が可能かを問い合わせました。次に展示会場に問い合わせ、障害者とその付き添いについて問い合わせました。そこで本人のチケットを準備する必要が出て来ました。ガイドさんに手渡すためにチケットを発券をしなければなりません。

そのタイミングで友人から、私に会いに来るという連絡が入りました。チケットのことを話すと、発券するコンビニが遠いので連れて行ってくれることになりました。友人のおかげで最速でチケットを手にしましたが、予約時間が遅い時間帯でした。また事業所に連絡し、ガイドをお願いする時間帯の調整をしました。事業所から当日の担当者で調整してくれたようです。こうして半日かけて、土曜日の外出の調整が完了しました。

今朝は息子がウキウキと早起きしています。入場時間までの行程をどうするかを聞きましたが、頭に入りません。私が原画展に行かせないようにしていると勘違いして「絶対に行く!」と癇癪を起こし出しました。もうここまで来たら、あとはガイドヘルパーさんにフォローをお願いするしかありません。

洗濯物を干しにベランダに行こうとしたら、小鳥のウンチのようなものが落ちていました。よく見たら人間のものでした。息子です。ウキウキしすぎて、おしりの管理が甘くなったのでしょう。「パンツを確認して」と言いますが、変なプライドがあるので、拒否します。部屋中を確認したら、もっと小さなウンチのかけらが見つかりました。下着を交換するように言いましたが、言うことを聞きません。悪戦苦闘し自分で下着を交換させました。するとやはり下着が汚れていたようで、自分で洗っていました。いい加減な洗い方なので、息子の目を盗んで洗い直します。

私は「早くガイドヘルパーさんが来ないかな。」と首を長くして待っています。このやりとりは3,4歳の子どものことではなく、22歳の知的障害者とのやりとりです。私は終わらない子育てをしています。いやもう青年期のこの時期になると、成長の度合いは非常にゆっくりになります。劇的な変化は期待していません。

だから「諦め」て、この状態を「受け入れる」のです。表現として適切かはわかりませんが、これが「終わらない子育て」です。ウンチを探しながら、これは罰ゲームなのかと思います。私は前世では、どんだけ罪深いことをしてきたんだろうと想像してみます。でも考えても仕方がないので、私は機械的に「親の義務と責任」を果たし「義理と人情」で一緒に暮らしているのです。

本日担当のガイドヘルパーのA氏が来てくれました。今朝の出来事をボヤくと「外出が楽しみすぎて、おしりに気が回らないことって、けっこうありますよ!」と言ってくれたので、またも私は命拾いしました。出て行く直前までうれしくて、踊っている息子とガイドさんは出て行きました。

やれやれです。息子が出て行ったので、パンツを洗い直しして、わたしは散歩にでかけます。

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