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アメリカ、ロサンゼルス、曽祖父の国

11歳のロサンゼルス
子どもの頃、テレビでみたディズニーランドに「行ってみたい。」と言ってみた。
たまたま生命保険の満期で小金を持っていた母が「行ってみたら。」と軽く言うので、お調子者の私は11歳でロザンゼルスの子ども体験ツアーに参加することになりました。為替が1ドル350円ぐらいの時代です。海外どころか、飛行機に乗るのも初めての田舎者の私が、するするとアメリカに行ってきたという当時には珍しい経験でした。

今から思えば母は、子どもの頃から親戚がハワイやらアメリカやらブラジルやらに移民に行ったという話を聞いていたので、海外へのハードルが低かったのでしょう。年を経ると、あの時よくぞ母は、11歳のローマ字もおぼつかない娘(わたし)を送り出したものだと思いました。私にはちょっと出来ないなぁと思いました。

アメリカへのメール
曽祖父の記事が見つかったので、記事を書いたライターさんにメールをしてみました。

返事はいつ届くのか?待つ身の辛さを味わいました。「一日千秋」の諺を体感していました。メールボックスを何度も何度も確認していました。

そして、ついにライターさんからメールが来たー♪───O(≧∇≦)O────♪

「わたし、落ち着け冷静に」
ざっくり文章を読むと、指先が興奮で震えてきました。ライターさんを通じてアメリカの家族が非常に喜んでいると書いてありました。添付されていたのは、ひいじいちゃんとその家族の写真でした。庭に鯉を飼うために曾祖父さんが作ったという池の写真がありました。日本を思っていたのですね・・・

急いで返信の文章を作成、添付する日米の家系図を再構成したり、アメリカに送る写真を母に選んでもらい、修正加工しました。写真は曽祖父の娘である私の祖母の写真と曾祖父さんにそっくりなおじさんたちの写真を添付しました。耳が曽祖父にそっくりなのです。笑うぐらい曾祖父さんに似ていました。

メールは一瞬、時差は18時間
間に合いそうにないので家系図は次回に見送りました。さっきアメリカ西海岸までポチッとなとメールを送信しました日本との時差は18時間です。

叶うならもう1度アメリカへ行ってみたいです。何も知らなかった11歳のころの私ではなく、50歳を過ぎて曽祖父の存在と歴史を学んだ私です。

改めて曽祖父が生きていた国、アメリカへ行ってみたいと思いました。


#行った国行ってみたい国

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